dely代表取締役の堀江裕介氏
  • 「目先の収益」を意識しつづけると経営が難しくなる
  • 小売事業者のアセットを軽視してはいけない
  • 注文までの平均所要時間は30分、体験をより良いものに
  • 淡々と沖で待ってればいずれ波が来る

「僕たちは決してクックパッドを倒したいわけではありません」(堀江氏)

レシピ動画サービス「kurashiru(以下、クラシル)」を運営するdely。その代表取締役の堀江裕介氏は取材の冒頭、こう切り出し、続けて自身の考えを語り始めた。

「リスクをとって、新しいマーケットをつくっていく。僕はそれこそがベンチャー企業の使命だと思っています。だからこそ、マーケットシェアを奪い合うことに意識を向けるのではなく、10年後に確実に来るであろう大きな波に対して、早い段階からリスクをとって新しい事業を展開する。大きな勝負に出ることにしたんです」(堀江氏)

これまでレシピ動画サービスのほか、店舗販促デジタル化支援サービス「クラシルチラシ」を展開していたdelyは2020年8月、ネットスーパー支援サービスを新たに立ち上げた。それが「クラシルリテールプラットフォーム」だ。

同サービスは初期費用無料、システム開発不要で小売事業者のネットスーパー垂直立ち上げを支援するというもの。具体的には基幹システムの構築、アプリ・ウェブの注文に関するフロントの設計、ピッキング作業管理、配送ドライバー管理まで一気通貫でシステム開発し、運用段階では専門人材によるプロフェッショナルサポートを提供する。

すべての提供画像:dely

実際に立ち上げるネットスーパーアプリは小売事業者ごとの単独アプリ型、もしくは2500万ダウンロードを誇るレシピ動画サービス・クラシルのアプリへの組み込み型の2つから選択できる。プラットフォームのローンチ時期は2020年の秋頃を予定している。

「正直、新型コロナウイルスの影響で広告収益は5割ほど減りました。周りの人から在宅時間の増加で『コロナ禍で儲かってるんでしょ?』と言われるのですが、全然儲かっていません。目先の結果だけ見れば収益が減って大変ですが、僕らはコロナ禍で収益を失った以上に大きな収穫がありました。コロナ禍を機に会社全体で短期的な収益は捨てて、10年後のことを考える方針へと切り替えることができたんです」(堀江氏)

今回の大きな意思決定について、堀江氏はこのように語る。2016年にレシピ動画サービスをスタートさせてから利用者数、ダウンロード数を順調に伸ばし続け、国内で最も利用されるサービスへと成長を遂げたクラシル。なぜ、このタイミングで経営方針の転換に至ったのか。決断の裏側にある考えを堀江氏に聞いた。

「目先の収益」を意識しつづけると経営が難しくなる

「1年後、会社が生き残るために何をすべきか。数年前まではその考えのもと、あらゆる意思決定を行っていました」と、堀江氏は過去の経営方針について振り返る。

今から4年前。2016年にスタートしたクラシルは、競合ひしめくレシピ動画市場で勝ち抜くために多額の資金調達を行い、さまざまなグロース施策を展開してきた。その結果、約4年で2500万ダウンロードを記録するほどの規模になったわけだが、堀江氏は自社のビジネスモデルに違和感を持ち始めたという。

「今までのメディアのビジネスモデルは運営側が売り上げを伸ばしていくことと、ユーザー体験の向上が相関しないビジネスモデルなんです。言ってしまえば、広告の数を増やしてユーザビリティを悪化させれば収益は上げられます。短期的な視点で広告を増やして収益を上げ続けていれば経営は楽ですが、長期的な視点に立つと将来的に経営が難しくなってしまいますし、より便利なものが登場したときにイノベーションのジレンマに陥ってしまう。すぐ限界が来るのが見えます」

「それが今までのメディアのビジネスモデルです。ユーザー体験の悪化によって得られる売り上げはいま、この瞬間意思決定すれば上げることができます。一方、真のユーザーファーストな意思決定によって熱量が高いユーザーと僕たちが強く繋がることは、短期では結果が出にくく、不確実性が高く怖い未来への意思決定です。本当に必要とされる、最高のプロダクトを作る自信がないチーム以外はこの意思決定ができません」(堀江氏)

実際、今年に入ってからGoogleがChromeで2年以内にサードパーティCookieを完全に廃止する計画を発表したほか、広告単価も減少。その結果、従来のようにページビューを増やし、広告で収益を上げるメディアのビジネスモデルが通用しない時代になってきている。

「今後、ユーザーの満足度と売上が相関せず、UXの悪化と引き換えに売上を薄く広く上げていくメディアは厳しくなっていくと思います。だからこそ、僕たちは1000人でもいいからクラシルのことを大好きでいてくれて、なおかつユーザーの利便性と会社の売上が相関するビジネスモデルに切り替えていくべきだと思ったんです」(堀江氏)

小売事業者のアセットを軽視してはいけない

そんな思いでたどり着いたのが、ネットスーパーの機能をワンストップで提供するクラシルリテールプラットフォームだ。

「ネットで注文した食品が自宅に届く──これは10年後、確実にやってくる未来であるにもかかわらず、何かしら構造の問題があって日本ではネットスーパーが進んでいません。これはあまりにも不便だな、と思ったんです」

「もしかしたら、最初はわずかなユーザーしかネットスーパーを使わないかもしれないけれど、それを10年間続けたら果たしてどうなるのか。まだ世の中に証明されてないことをやることが、僕たちの新しいモチベーションであり、新しい挑戦になると思いました。それによってユーザーが便利になって喜んでお金を払ってもらい、僕たちも得をする。最初は収益が出ないかもしれないですが、10年後にマーケットが大きくなったときにシェアが獲れていれば収益がもらえる事業はいま仕込むべきだと思ったんです」(堀江氏)

2018年7月にヤフーの連結子会社になったdely。子会社化のタイミングで「食領域の課題解決のためにコマース事業にも参入する」と語っていた。今年に入ってから食品ECサイト「クラシルストア」を開始し、コロナ禍で売上が落ちた飲食店を出店手数料無料で支援する取り組みを2020年7月まで実施していた。

執行役員・CTO(最高技術責任者)であり、コマース事業の責任者を務めていた大竹雅登氏は「2018年頃から、ありとあらゆるアプローチで食品ECの方向性を模索し、これまでに何回も失敗してきました」と語る。

dely執行役員・CTOの大竹雅登氏

「いろんなことを試す中で見えてきたひとつの答えが“小売事業者との協業モデル”だったんです。彼らが100年近くかけて作り上げてきたサプライチェーンや店舗のアセット、お客様からの信頼を僕たちが同じように作れるのかと言えば作れません。だからこそ、既存の小売事業者を尊重して彼らの強みを生かしながら、僕らの強みも生かす必要があるのではないか、と思ったんです」(大竹氏)

また、大竹氏の発言に続けて、堀江氏はこう続ける。

「クラシルリテールプラットフォームを立ち上げるにあたって、たくさんの小売事業者と会って話をした結果、彼らが50年、100年かけて作りあげたノウハウとアセットを軽視していたことに気付きました。僕たちだけでどうにかできる話ではない・小売のビジネスモデルを次のステージへ進化させるべく、一緒に会社を立ち上げるくらいの気概で今回の事業に取り組みます」

「資本体力がある今だからこそ、僕たちが立ち上げ初期のリスクを負担するので、5年後、10年後の未来のためにぜひ一緒にやってほしい。そんな思いです」(堀江氏)

注文までの平均所要時間は30分、体験をより良いものに

新型コロナウイルス感染拡大の影響によって、ネットスーパーの需要が急激に高まっている。大竹氏も「小売事業者のオンライン化、デジタルシフトに対する興味、関心、本気度はすごく高い。どの小売事業者に話を聞いてもネットスーパーをやるつもりがないと答える人はほとんどいません」と語るが、実際に何をしたらいいか分からない状況にあるという。

「具体的にネットスーパーをどうやって始めるかを模索している段階なので、そこは僕たちがしっかりお手伝いして、逆に小売事業者が持っているアセットの価値を再認識してもらう。例えば、良い立地に店舗を持ち、毎日商品を仕入れて棚に補充されて並んでいること自体がすごい価値なんです。僕たちがそれをやろうとしても無理です。まずその価値に気づいてもらって、次にその価値をどうやってオンラインでも同じようにお客様に提供していくか。そういう順番で話を進めていけたらと思っています」(大竹氏)

具体的な社名は明かされなかったが、すでに複数の小売事業者と話し合いを進めており、クラシルアプリのレシピを通じて商品が購入できるような連携の仕組みや、注文のためのデータベース構築を進める。

「ネットスーパーは各店舗あたり商品数が1〜2万点ほどありますし、商品の旬や賞味期限によって更新も頻繁にかかります。そこをマネジメントする仕組みがネットスーパーでは重要なので、素早くPDCAを回しながら、その仕組みを構築できるようにしていければと思います」(大竹氏)

「今のネットスーパーは注文を完了するまでの平均所要時間が30分で、平均ページ遷移数が50ページもあるほど注文するのが大変なんです。料理は意思決定が複雑で家に何が余ってるのか、その食材は安いのか、カロリーはどれくらいかなど、いろんなことを考えてレシピを決めないといけないですし、さらには材料も要素分解して買わないといけない。そこも大きな課題だと思っているので、小売事業者と一緒に、世界一便利なユーザー体験をつくらないといけないと思っています」(堀江氏)

ネットスーパーの立ち上げ支援サービスに関しては、すでに10Xが開発不要でネットスーパーを立ち上げ可能なサービス「Stailer(ステイラー)」を展開している。ただ、堀江氏と大竹氏の2人とも「競合の意識はない」と強く強調する。

「大前提として小売事業者の課題、またユーザーの課題がすごく大きい業界なんです。世の中はすごい勢いで変わっているので負の部分を解決することに集中し、全力疾走していかなければ日本にネットスーパーが浸透していかないと思っています。だからこそ、競合だと思ったことはないですし、一緒に業界を盛り上げていければと思います」(大竹氏)

「例えば、ネットショップの立ち上げに関してもBASEとSTORESがあってよかったように、どこかの企業が独占する話でもないと思うんです。また1社が独占してしまい、そこにノウハウが溜まり、運営側が力を持った状態で業界が進んでいってしまうと、小売事業者が何も言えない状態になってしまいます。あまりにも広大なマーケットなので、いろんな事業者が出てきて、みんなで切磋琢磨していけたら、と思っています」(堀江氏)

淡々と沖で待ってればいずれ波が来る

delyは2014年の創業時、フードデリバリーサービスを展開していたが、思ったように需要が伸びず、2015年1月にサービスを撤退させている。しかし、今はどうだろうか。Uber Eats(ウーバーイーツ)や出前館といった、フードデリバリーサービスが当たり前のように使われる世の中になった。

「僕たちがそのままサービスを続けていたら上手くいったとは思いませんが、長く張り続けていたらできることがあるんだな、と。マーケット要因ではなく、未来は自分たちの手で創ることができるんだと確信を持てるようになりました」(堀江氏)

だからこそ、このタイミングでdelyは10年後の未来に向けて、リスクをとってでも大きな勝負を仕掛けていく決断を下した。

「この意思決定ができていなかったら、僕たちは多分5年、10年後まで苦しみながら毎年サービスのハックを続けて、ユーザビリティを悪化させて倒れていっていたかもしれません。誰も信じず遠い未来だけど、実は淡々と沖で待ってればいずれ波が来る。長い目線で事業を考えている人の方がハックしていないんです。だからこそ、僕たちも10年後に1番の会社を作るために、当たり前の経営に切り替えただけなんです」

「明日トラフィックが止まったら、どうしよう。そんな不安は毎日押し寄せてきますが、仮にトラフィックが止まってもクラシルのことを大好きでいてくれる人をいかに増やせるか。そのためにもネットスーパーが当たり前に使える世界を作っていかないといけないんです。スケールさせる話は会社でも一切していなくて、ユーザー数は無理に追わず、とにかく大好きなサービスになってもらうことしか考えていません」(堀江氏)

仕事の帰りに保育園から子供を迎えに行き、子供の面倒を見ながらスーパーで食材を探し回り、家に帰って料理する。後片付けしたらまた翌日以降の献立も考える──当たり前のようで実はものすごく大変な作業が料理。だからこそ、クラシルがこれまでに積み上げてきたレシピや献立とシームレスに連携するネットスーパーを立ち上げることで、利便性の高い購入体験をユーザーに提供していく。

また、小売事業者の95%はネットスーパーに参入していない状況にあり、ユーザーにとってそもそもネットスーパーを使う選択肢がないため、「まずはネットスーパー運営のために提供するソリューションを磨き上げ、これから1年くらいでクラシルリテールプラットフォームの認知度を高めるとともに、小売事業者様からの信頼を獲得していくつもりです」と大竹氏は抱負を語る。

「僕たちが実現できなかった未来を、Uber Eatsは6年かけて実現したわけです。またネットショップの立ち上げも数年前までは『本当に使われるの?』という声もありましたが、今やBASEやSTORESは当たり前のように使われています。10年後のためにネットスーパーが当たり前に使われる未来を実現するために、僕たちも長い視点をもって粛々と事業を進めていければと思っています」(堀江氏)