Hotspring代表取締役の有川鴻哉氏
  • 「自分が本当に欲しい」と思えるサービスをつくりたい
  • 「旅行の計画」をオンラインでも便利に、楽しく
  • 大手企業と連携。海外旅行のOTAを進めるも新型コロナで瓦解
  • 予期せぬ方針転換、攻めの資金調達も実施
  • 「ユーザーファースト」で正確な情報をいち早く提供
  • 旅行予約サイトが横並びに。僕たちは「安心」を提供できる

日本各地が観光客で賑わう春の大型連休(ゴールデンウィーク)も、今年は新型コロナウイルスの感染拡大で状況が一変した。4月7日の緊急事態宣言の発令に伴い、施設の使用停止(休業)要請や外出自粛の協力要請などで、多くの人が“巣ごもり”を余儀なくされた。その結果、大きなダメージを受けた業界の1つが観光業だ。

例えば、総務省が発表した「家計調査」によれば、2020年5月はホテルなどの宿泊費支出が97.6%減少したほか、パック旅行費も95.4%減少。また航空各社が発表したゴールデンウィークの利用実績は軒並み9割以上の減少となっているほか、JR各社によれば新幹線や在来線特急列車の利用者も9割以上の減少を記録するなど、惨憺たる結果となっている。

「緊急事態宣言の発令で会社の売り上げは正直、99.5%減りました……」

数カ月前の状況を、こう振り返るのはHotspring代表取締役の有川鴻哉氏だ。同社は旅行予約サービス「こころから」、チャット旅行相談・予約サービス「ズボラ旅 by こころから(以下、ズボラ旅)」を運営しているが、コロナ禍で需要は激減。一時は存続の危機に追い込まれた。

政府が国内観光需要喚起を目的として、約1.7兆円の予算を投じた「Go To トラベルキャンペーン」が7月22日に開始されてから、観光需要も少しずつ回復。有川氏によれば、Hotspringの売り上げも7月は前年同月比と同じくらい、8月に関しては数倍の数値を記録したという。

世界全体を襲った、新型コロナウイルスの感染拡大──予期せず発生した“HARD THINGS(ハードシングス)”をHotspringはいかにして乗り切ったのか。この1年の歩みを有川氏に聞いた。

「自分が本当に欲しい」と思えるサービスをつくりたい

Hotspringは2017年5月の創業。もともと、有川氏は女性向けファッションのキュレーションメディア「MERY(メリー)」を運営するペロリの創業メンバーとして、主にデザインやSEO(検索エンジン最適化)の領域を担当していた人物だ。

DeNAがペロリを買収し、有川氏も新たな挑戦のために離職を決意した2016年12月、DeNAが運営する医療・ヘルスケア情報のキュレーションメディア「WELQ(ウェルク)」の制作体制や情報の信憑性が問題視された、いわゆる「WELQ騒動」が起こった。この騒動を受けてMERYもサービスをクローズするに到る。クローズまでの対応をしてペロリを離れた有川氏は、以前から心に抱いていた「自分で事業をやりたい」という思いを形にすることを決める。

「MERYは女性向けのサービスなので、自分がユーザーになることはありません。であれば、MERYで培った経験をもとに自分が本当に欲しいと思うもの、自分が本当に作りたいと思うものを『作ってみたい』気持ちが強くなっていきました」(有川氏)

事業を立ち上げるにあたって、有川氏は「2つのことを意識しました」と語る。ひとつは市場規模がとにかく大きいこと。もうひとつは自分の趣味でもある“余暇を楽しむ”領域であることだ。その結果、飲食と旅行、2つが事業アイデアとして浮かび上がった。
だが飲食の領域はすでに多くのスタートアップが参画しており、「お金が生まれやすい場所」にはサービスが密集して、競争が激しいと判断。飲食ではなく、旅行領域で事業を立ち上げることを決める。

「旅行領域は市場規模が巨大であることに加え、伝統的なプレーヤーで固定されていて、オンライン化があまり進んでいません。実際、身近な人に旅行の予約について話を聞くと、ネットは使わず家の近くにある旅行代理店で予約をしていたんです」

「例えば、洋服は試着しないとサイズ感が分からないなど、店舗で購入する意味は明確にあると思います。ですが、旅行は代理店で体験できるわけではないので、(オンラインで購入しようが)モノ自体に変化はありません。それでも“安心感”があるという理由で旅行代理店で予約する人が多くいます。今後、オンラインの接続時間は確実に増えていくにもかかわらず、安心してオンラインで旅行を予約できる環境が整っていない。なおかつ、そこに取り組むプレイヤーも見渡す限りいなかったので、それであれば『自分たちでやろう』と思ったんです」(有川氏)

旅行系のメディアなど、旅行の計画を立てる領域のほか、高級ホテル・高級旅館の予約などセグメントごとに新規のプレイヤーは増えていたが、“旅行を予約する”、つまりOTA(Online Travel Agent。オンライン旅行会社)という業界ど真ん中の領域は、大手の事業者しかいない。有川氏は「創業からあえてセグメント切らず、旅行業界のど真ん中の市場だけ狙っていました」と語る。

「旅行の計画」をオンラインでも便利に、楽しく

有川氏がHotspring創業後にまず行ったのは、旅行業の登録だ。1年ほど勉強し、自らが「旅行業務取扱管理者」の資格を取得した。この資格は旅行ビジネスをするには必須になるため、あらかじめ資格保有者を採用したり、中には実質的に資格者から名前貸しをしてもらって事業を行ったりするケースもあるそうだが(編集注:名義貸しは旅行業法上の禁止行為)、有川氏は自分たちで勉強し、資格を取得することにこだわった。

「まず、僕自身も旅行のマーケットについて知らないといけません。また旅行は、国との結びつきも強い領域です。ど真ん中のお金を動かす領域で勝負したかったからこそ、国はどんなことを考えているのか、既存のプレーヤーはなぜ強いのかといったことをきちんと把握しておくべきだと思い、最初の1年は資格の勉強に費やしました」(有川氏)

時間をかけて大きな事業を作りたい──そんな思いで立ち上げたサービスが全国の観光スポット・宿泊施設の情報が掲載されているサイト「こころから」だ。

「資格勉強のかたわら、旅行の市場調査をする中で、まずは広く利用してもらえるサービスから入るべきだと考えました」と有川氏は語る。その後、2018年5月にリリースしたのがチャット旅行相談・予約サービス「ズボラ旅 by こころから(ズボラ旅)」だ。

ズボラ旅はチャットで旅行プランの相談から宿泊予約までを一気通貫して依頼できるサービス。具体的にはLINEを利用してスタッフとチャットで会話する中で、旅行の出発地を伝えるだけで宿泊旅行プランの提案が受けられる。

すべての提供画像:Hotspring

「日本の旅行における消費行動の”ど真ん中”は、旅行代理店の窓口に相談をしに行くことです。OTAにシェアを奪われているとはいえ、メインの消費行動はそこにあります。例えば、OTAを訪れた人のうち、約2割の人が窓口にも足を運んでいるというデータがあります。窓口にお客さんが求めているもの、課題に感じているものが集約されていると思い、僕らも窓口に足を運んでリサーチしてみたんです」

「実際、足を運んでみると想像以上に“疲れた様子”で旅行を計画している人が多くいました。それもそのはずで、仕事終わりの時間帯に窓口に行き、数十分待たされてから旅行の計画を考え、予約をしている。旅行の計画は本来、楽しいものです。そうした課題はオンラインで解決できるものだと思ったので、お客さんが楽しく、便利に旅行を予約できるようにズボラ旅をリリースすることにしました」(有川氏)

大手企業と連携。海外旅行のOTAを進めるも新型コロナで瓦解

リリースから2時間で4000件以上の相談が届き、サービスはパンク。5人のズボラ旅チームでは全く対応できない状態に陥ってしまった。その後、チームの体制を強化するとともに、対応フローを改善。1日あたりの新規相談件数に上限を設けることで、受付時間中の相談に対しては当日中に返信できるようにした。

「ズボラ旅は人海戦術が必要な事業モデルで正直、収益化は難しく、サービス自体を拡大させるのは大変ですが、旅行におけるユーザーニーズ、課題を拾い上げる意味ではすごくいい入り口だったと思います」(有川氏)

当初はbot(ボット)を活用したズボラ旅の自動化も検討していた。だが「ユーザーが抱えている課題感が異なるなど、個別のニーズが想像以上にたくさん存在していることに気づきました。それらにカバーしようとすると、僕たちの資本力では時間がかかりすぎてしまいます。また、別々のユーザーに対して同じ提案内容になるケースも多くなり、提案内容の最大公約数が少しずつ分かるようになってきたことで、必ずしも1対1で会話をするのがベストではないと思うようになりました」(有川氏)と判断し、自動化しないことを決めた。

サービスを運営していく中で、新たな要望も見えてきた。海外旅行の際に旅行代理店の窓口で予約をしないと安心できない人が多かったことから、リリースから約1年が経ったタイミングでズボラ旅は海外旅行の取り扱いを開始。その後、ユーザーからの反響も良かったことから、有川氏は事業のメインを海外旅行に決める。

「海外旅行のOTAはホテルと航空券を予約できる場所でしかなく、そこには何の優しさもありません。また購入するのも煩雑なため、結果的に多くの人が窓口に行くんです。これまでズボラ旅を運営してきたインサイトを生かして、より手軽に安心して海外旅行の予約をできるように海外旅行のOTAを立ち上げることを決めました」(有川氏)

ズボラ旅で旅行を取り扱ってきた実績や信頼をもとに、2019年の夏頃からアライアンス(提携)に動き始める。結果的に半年がかりで世界最大手の旅行予約サイト「エクスペディア」と宿泊施設の全在庫を提携したほか、予約発券システムを手がける「アマデウス」と提携し航空券も手配できる環境を整備。「これでホテルと航空券の在庫を日本で一番保有している状態にできました」と有川氏は語り、それらの機能をプロダクトに落とし込んでいくタイミングで新型コロナウイルス感染症が猛威をふるい始める。

予期せぬ方針転換、攻めの資金調達も実施

「2月頃から旅行の需要が少しずつ減り始め、『ヤバいのではないか……』と感じていました」──有川氏は振り返るが、緊急事態宣言の発令に伴う休業要請や外出自粛の協力要請などで旅行に行く人はほとんどいなくなり、結果的に会社の売り上げは95.5%減少。業績はどん底の状態にまで落ち込んでしまった。

「これは僕たちに限った話ではなく、旅行のマーケット自体が壊滅的なダメージを受けてしまいました。そこで改めて、僕たちは何をすべきなのかを考え直しました」(有川氏)

直前まで海外旅行のOTAの仕込みをしていたため、足元の資金もギリギリの状態にあったことから、有川氏は新型コロナウイルス感染症特別貸付などの融資の仕組みを活用して足元の資金を確保しつつ、新たに既存株主のANRI、TLMのほか個人投資家を含めた約1億円の資金調達を実施。「攻めていくための資金」(有川氏)を確保した。

「(アフターコロナの世の中でも)旅行自体がなくなることはないと思っているので、需要が落ちているタイミングでどう戦っていくかが大事です。需要が戻ってきたタイミングでユーザーから必要とされるサービスであるために、調達した資金を使ってサービスの改善を重ねていきました」(有川氏)

実際、有川氏は新型コロナウイルスの影響で旅行マーケットの実態はどうなっているのか、それを踏まえて各社はどういった動きをしようとしているのか。ひたすらリサーチを行い、旅行の需要がどう戻ってくるかを、なるべく精度高く予想できるようにした。

「旅行業自体、もともと伝統的なプレーヤーたちが強大な資本力で戦う市場だったのに、新型コロナウイルスで需要が完全に落ち切ったら、広告は止まり、資本の殴り合いが一切起きない状況になったんです。また需要が戻り始めるタイミングで資本の殴り合いは再開しますが、戻り始めのタイミングは各社どこに資本を入れていいのか分からないのでお金が浮きます。そこで上手いこと市場に入れればシェアが獲れるので、どこよりも現状を正しく理解し、変化に合わせた機能をどこよりも早くプロダクトに落とし込み、いち早くリリースしてユーザーに使ってもらうことを徹底しました」(有川氏)

「ユーザーファースト」で正確な情報をいち早く提供

その姿勢が成果に結びついたのが、Go To トラベルキャンペーンだ。有川氏は「Go To トラベルキャンペーンを起爆剤にして、旅行の需要が少しずつ戻っていくことは誰の目にも明らかだったので、Go To トラベルキャンペーンがどうやって需要を回復させていくのか、その予想を立てて上手くキャンペーン乗ることを意識しました」と語る。

ただ、Go To トラベルキャンペーンは全国一斉開始を見直し、東京都発着の旅行を補助対象から外す方針に転換するなど、開始直前に混乱があった。キャンペーンの制度自体が不透明になり、お客さん、旅行事業者から見てもどう使えばいいのか分からず、割引率もどれくらいになるか分からない状態になっていたため、Hotspringはすぐさま記者会見の内容をTwitterに投稿する対応を実施した。

「僕たちとしてはGo To トラベルキャンペーンの内容を出来る限り正しく理解して、逆に決まっていない部分も把握した上で、ユーザーに正確に伝えていく。またサービスで分かりやすく伝えていくことを徹底して行いました」(有川氏)

サービスで分かりやすく伝えていく──その一例が、こころからで特集ページとして発表されている「コロナ対策あんしんの宿2020」だ。これは、いくつかの宿泊施設にコンタクトをとり、新型コロナウイルス感染症の感染対策について一定の基準(宿泊業における業界団体が制定するガイドラインを参考)を満たしているかどうかを調査し、基準を満たしている宿泊施設を「コロナ対策あんしんの宿」として認定し、特集ページに掲載した。

「新型コロナウイルスの影響で宿泊施設に関する情報が錯綜していて、予約をとったけれど行ったら営業していないケースも発生していました。コロナ禍での旅行に関して賛否はあれど、いろんな人がいる中でどこに泊まればいいのかが不透明になっていたので、まずは安心して宿泊できる施設を可視化しました」(有川氏)

また、Go To トラベルキャンペーンは10月1日から東京発着旅行も対象になることが決まり、9月18日の正午から旅行の予約を開始した。しかし、有川氏によれば「予約解禁の最終決定が同日の11時に決まった」そうで、各社はその対応にかなり時間を要している。一方でHotspringは予約解禁と同時に販売を開始しており、「すでにかなりの予約が入ってきている状況です」と有川氏は語る。

旅行予約サイトが横並びに。僕たちは「安心」を提供できる

コロナ禍を機にした変化は「キャンセル」にも影響を及ぼした。今では「予約だけしておいて、感染者が増えたから直前にキャンセルする」というケースが増えてきているという。そうした変化を踏まえ、Hotspringはこころからに旅行当日までキャンセル料金が無料で予約できる宿のほか、Go To トラベルキャンペーンの還元対象となる宿泊施設などを絞り込んで検索できる機能を新たにリリースしている。

また、Go To トラベルキャンペーンは現在、旅行代金の35%相当分を割り引いた価格で宿泊施設を予約できるが、事後還元手続きに関しては7/27以降〜8/31の期間、手続きが必要なケースとそうでないケース(=割引料金で予約できるケース)が混在していた。そのため自分は申請の対象なのか分からないユーザーに対し、Hotspringは申請の対象になる人には「申請対象ですので申請の手続きをしてください」と直接連絡する対応を行った。

「一旦、会社の動きを止めて旅行の需要が回復するのを待つことも考えましたが、僕たちは旅行需要が戻ってくるタイミングに向けて仕込みを進める決断をしました。需要が戻ってきたときに旅行に行きたいと思った人たちが欲しい情報は何か、予約するのに何が今までと違うのか。そういう変化を見つけて、今のうちにプロダクトに落とし込みました」(有川氏)

7/27以降、Go To トラベルキャンペーンはシステムの準備が整った会社から割引料金での販売が開始できる仕組み(9月1日からは割引料金でなければ販売してはいけない)になっているが、その切り替えに対応できる旅行会社が限られていた。Hotspringはその枠に入れたため、売り上げも順調に戻ってきている。有川氏は「常に情報をアップデートし続けてプロダクトを改善したからこそ、素早く対応できました」と語る。

「新型コロナウイルスによって旅行の探し方、予約の仕方が変化していく中で、プロダクトを素早く改善し、ユーザーにいち早く使ってもらえるのがスタートアップの強みです。昔であれば、名前の聞いたことがない会社に不安を覚えた人は多いと思いますが、今はスタートアップだからこそできること、安心を与えられます」

「また、今まで旅行予約サイトは今まで使っていたものを繰り返し使う行動が多かったのですが、今はGo To トラベルキャンペーンがどう使えるか、どこの旅行先にするか。いきなり旅行サービスに入るのではなく、その一歩前の情報から探し始めるようになっています。その結果、旅行予約サイトの立ち位置が横並びになり、サービス自体をフラットに評価してもらいやすくなりました。だからこそ、旅行の需要が戻りきったときに、どの立ち位置にいられるか。マーケットインの視点で旅行者に求められているものを最先端に出し続けることがユーザー使われる自信につながっているので、今後もその姿勢でプロダクトを磨き続けていきたいと思っています」(有川氏)