カケハシ代表取締役CEOの中川貴史氏 すべての画像提供:カケハシ
  • 患者と医療従事者の間にある情報ギャップを解決
  • オンボーディング手法を全12回の「1on1オンライン研修」に
  • 7月に“薬局体験アシスタント”としてリニューアル
  • 業界の2割の薬局体験を変革していく

病院や診療所でもらった処方箋を提出し、病気の治療に必要な薬をもらう——これまで“薬局”は単に薬を受け取るための場所だった。

そんな薬局にテクノロジーを取り入れ、患者が薬剤師に悩みを相談したり、薬剤師が患者にアドバイスしたりできる「かかりつけ薬局」にすることを目指すスタートアップがクラウド型電子薬歴システム「Musubi(ムスビ)」を運営する、カケハシだ。

同社は10月12日、ジャパン・コインベスト、Sony Innovation Fund by IGV、および既存投資家であるCoral CapitalのCoral Growth(既存投資先向け追加投資専用のグロースファンド)、千葉道場、DNX Ventures、Salesforce Venturesを引受先とした総額約18億円の資金調達を実施したことを明かした。同社は2019年10月に26億円の資金調達を実施しており、この1年で44億円の資金を調達。これで累計調達額は約55億円となった。

今回調達した資金は、薬局業界のデジタル・トランスフォーメーション(以下、DX)を支援する既存事業の拡大と新規事業の創出、それに伴う組織の拡充に投資する予定だという。

患者と医療従事者の間にある情報ギャップを解決

カケハシは2016年3月の創業。創業者で代表取締役社長の中尾豊氏は過去に武田薬品工業でMR(医薬情報担当者)として働いた経験を持つ人物だ。MRの仕事を通して、日本の医療の質の高さを感じる一方、患者と医療従事者との間には大きな情報ギャップがあることを課題に感じた中尾氏はその“ギャップ”を解決すべく、2017年8月に患者と真剣に向き合う薬剤師をサポートする電子薬歴システムのMusubiをリリースした。

Musubiは処方にあわせた薬剤情報、患者さんの健康状態や生活習慣にあわせた指導内容・アドバイスを自動で提示してくれる電子薬歴システム。これを使うことで、薬局で働く薬剤師は患者と一緒にタッチ機能付きの端末画面を見ながら服薬指導を行うことができるため、患者との円滑なコミュニケーションが実現する。

また、服薬の指導中にMusubiの画面をタッチすれば、薬歴の下書きが自動で作成されるため、患者コミュニケーションと薬歴記入が同時並行となる。これまで薬剤師が服薬指導とは別に1日2〜3時間かけていた薬歴記入による業務負担の大幅な削減も可能だ。

オンボーディング手法を全12回の「1on1オンライン研修」に

2015年に厚生労働省が策定した「患者のための薬局ビジョン」。そこで薬局における対物業務から対人業務へのシフトが提唱されていることを背景に、Musubiは薬剤師からの共感を集めるており、リリース以降、導入店舗を拡大。2020年5月から中尾氏と共同で代表を務める取締役CEOの中川貴史氏によれば、この1年間で導入店舗は約2倍に増えているという。その理由を中川氏はこう説明する。

「薬局に導入していただく際のオンボーディング(ユーザーがいち早く操作に慣れ、継続的に利用できるよう導くためのプロセスのこと)の手法をこの1年でガラッと変更しました。これまでは現地に行って2〜3時間の研修会を実施し、Musubiのコンセプトを説明したり、使い方をレクチャーしたりしていたのですが、1回だけの説明では何となく分かった気がするだけで終わってしまうんです」

「薬剤師の中にはITに詳しくない人も当然いらっしゃるので、使い方が不慣れなまま業務に入ってしまうと成功体験が経験できないまま業務を続けていくことになります。そうした事態を避けるべく、すべての薬剤師さんに1on1で全12回のオンライン研修プログラムを新たに実施することにしました」(中川氏)

コンセプトは“薬剤師版のライザップ”のようなもの。薬剤師一人ひとりに専用の端末を3カ月間貸し出し、それを使って専属のトレーナーが薬剤師とビデオ会話をしながら、12週間にわたってMusubiのコンセプトや使い方を教える。実際、このプログラムを経験した薬剤師の7割はNPS(ネット・プロモーター・スコア。顧客ロイヤルティを測る指標)が向上するなど、多くの薬剤師がMusubiを使うことの価値を感じている。

また、取締役CTO(最高技術責任者)の海老原智氏によれば、薬剤師たちからのフィードバックをもとにUX(ユーザー体験)の向上など、サービスの細かな改善を重ねたことが高評価にも繋がっているという。

取締役CTOの海老原智氏

「サービスをリリースする前は多くの薬剤師にヒアリングを実施し、それをもとに服薬指導のフローの最適化に取り組んでいたのですが、実際にリリースしてみると薬剤師さんたちの実情にそぐわない部分も多くあったんです。薬剤師さんが薬局でどういう風に服薬指導しているのか。実際に使ってもらった上での声も踏まえながら、UXなど根本的な部分を細かくブラッシュアップしていきました」(海老原氏)

7月に“薬局体験アシスタント”としてリニューアル

創業後からMusubiの開発・運営に注力してきたカケハシだが、今年の7月に「薬局体験アシスタント」としてMusubiを刷新。服薬期間中のフォローを軸とした患者と薬局の関係づくりをサポートする、患者向けのおくすり連絡帳アプリ「Pocket Musubi」、Musubiのデータを使用して薬局経営上の重要な指標を可視化し、根拠に基づく薬局運営を実現する薬局業務の“見える化”クラウドサービス「Musubi Insight」をリニューアルと同時にリリースしている。

その背景にあるのが、2020年9月に施行された改正医薬品医療機器等法(薬機法)だ。この改正により、服薬期間中の「継続的服薬指導(フォローアップ)」が開始された。また新型コロナウイルス感染症を受けて、2020年4月からいわゆる「0410対応」として時限的・特例的にオンライン服薬指導が解禁されるなど、薬局、薬剤師を取り巻く環境は大きく変化している。

「薬を渡すだけの場所」から「患者さんに付加価値を提供する場所」へ——薬局のあり方が変化する状況を受け、薬局の働き方改革と患者満足を同時に支援すべくMusubiは「薬局体験アシスタントとしてリニューアルしました」と中川氏は語る。また、サービスのリニューアルにあたってカケハシは代表取締役の2人体制へと経営体制を変更している。

Pocket Musubiは服用薬データに基づいた質問が薬局から自動で患者のアプリに送信され、患者はその質問に対する回答や体温や食事の内容・薬を用法に従って飲んだかなどをアプリ上で記録する。一方の薬剤師はPocket Musubiの管理画面を通じて患者さんのデータを確認しながら服薬中の状況を把握することで、適切なフォローが行える。

「患者さんとの過剰なやり取りや極端な連絡不足を防ぎ、必要な患者さんに最小限の業務負荷でコミュニケーションを図ることで、患者満足を実現しながら現実的で継続可能な業務フロー構築を支援するためのサービスです。特に新型コロナウイルスの影響で薬局に行く機会が減ったことで、こうしたツールの需要は高まっていると思います」(中川氏)

また、Musubi Insightは薬歴完了率のような薬剤師の業務状況を表すデータから、売上をはじめとする店舗経営データ、処方箋数や再来率・新患率など患者さんとの関係性を表すデータなどを分析し、薬局業務を可視化。これにより解決すべき課題の発見・把握を効率化し、適正な薬局運営の実現を支援してくれる。

業界の2割の薬局体験を変革していく

改正薬機法の施行を受け、薬局の働き方改革と患者満足の両立を通じた薬局体験向上の支援へと踏み切ったカケハシ。今回調達した資金をもとに人材の採用を推し進め、既存事業の拡大、そして新規事業の創出にも今後取り組んでいく予定だという。

「Musubiをはじめとして、Pocket MusubiとMusubi Insightの3つのサービスを成長させていくことは当然ですが、“患者さんの具合が悪くなってから健康になるまで”の体験の一部だけデジタル化してもDXにならないので、すべての体験をデジタル化していかなければならないと思っています。オンライン服薬指導などもそうですが、今後オンライン化が進んでいくにあたって生じた課題に対して自社でサービスを開発したり、他社と連携したり、いろんな打ち手を出していければと思います」(海老原氏)

また、中川氏は「医療業界を変えていくためには2割の薬局がMusubiを通して考え方や動き方が変わることが必要」と言い、まずは約1万店での薬局体験の向上を目指す。

「個人的には“バッファローモデル”と呼んでいるのですが、バッファローは先頭の2割の集団が動き始めると、全体が動くそうなんです。これは医療業界も同じだと思っていて2割の薬局の考え方や動き方が変わってくると、それが全体に波及していき、業界全体の動きが変わってくると思っています。ですから、まずは1万店の薬局での体験を変えて、日本の医療を次世代へつないでいくエコシステムを構築していければと思います」(中川氏)