
- 新型コロナの影響でSaaS業界自体も顧客接点をオンラインへシフト
- 「いつかやる」から「待ったなし」となったDXを支えるSaaS
- 「AIが仕事を奪う」のではなく「AIがないと経済の維持が難しい」
- 米国、東南アジア、インドなど世界のSaaS動向は
- 世界規模の海外VCが日本発SaaSに注目・投資する理由
- SaaS普及は必然だが、質を上げなければ利用者が不幸になる
クラウド上でサービスとして提供されるソフトウェア、SaaS(Software as a Service)。その市場は日本でも拡大の一途をたどっている。2019年10月に発表された富士キメラ総研の調査(PDF)によれば、2019年度の国内市場は5646億円と見込まれ、2023年度にはさらに8174億円へ増加すると予測されている。
総務省が発表した「情報通信白書 令和2年版」でも、SaaSを含めたクラウドサービスを一部でも利用する企業の割合は年々伸びており、2019年は約64.7%と前年より6.0%上昇した。さらに今年はコロナ禍によるテレワークの増加に伴い、Microsoft TeamsやSlack、Zoomといったコミュニケーションツールを中心に、SaaSの導入率はさらに上昇しているものと推測される。
需要に応じてSaaSで起業し、成功するスタートアップも増えている。2019年には名刺情報管理のSansanやクラウド会計ソフトのfreeeが上場を果たした。労務管理SaaSのSmartHRや、建設現場SaaSのアンドパッドなど、海外VCからの大型調達を実施するスタートアップも現れている。
これら日本のSaaSスタートアップに特化した投資ファンドとして、2019年6月、シンガポールを拠点とするベンチャーキャピタル(VC)のBEENEXTが組成したのが「ALL STAR SAAS FUND」だ。ALL STAR SAAS FUNDのコンセプトは「起業家とともに100年続くSaaS企業をつくる」こと。運用規模は約53億円で、創業初期からグロースステージ以降まで長期にわたり、資金面に加えて採用支援や営業育成、組織づくりなどでSaaSスタートアップをサポートする。
ファンドの投資先には先に挙げたSmartHR、アンドパッドのほか、理系学生の採用サービスを提供するPOL、AI搭載IP電話サービスのRevCommなど、注目すべきSaaSスタートアップも多い。
日本のSaaS市場は現在どうなっているのか。そして今後どうなっていくのか。ALL STAR SAAS FUNDマネージングパートナーの前田ヒロ氏にSaaSの現状と展望を聞いた。
新型コロナの影響でSaaS業界自体も顧客接点をオンラインへシフト
まずは新型コロナウイルスのSaaS市場への影響についてだ。コロナ禍をきっかけに業務のリモート化、デジタルシフトでSaaS導入を決めた企業も多かったのではないかと感じるが、前田氏はどのように受け止めたのか。
「3月下旬、感染拡大が本格化した最初のころはメチャクチャ“カオス”な状況で、新型コロナが業界にどんな変革をもたらし、経営にどう影響するのか、みんな分かりませんでした。それからひと月ほどたち、4月中旬から下旬ぐらいになって、ようやく傾向が見えてきた気がします」(前田氏)
前田氏の言う「傾向」とは、SaaS企業にとっての顧客接点のオンライン化だ。いかにSaaSスタートアップとはいえ、これまでは企業向けにサービスを提供する以上、営業活動は対面で行う企業が多かった。これが4月下旬ごろからオンラインに切り替わっていったという。またマーケティング活動で重視されてきた展示会やイベントも、ウェビナーやメールマーケティングに置き換わった。
「僕たちは20社以上のSaaSスタートアップに投資していますが、タッチポイントのオンライン化については1社だけのことではなく、SaaS業界全体でやり方が確立したと感じています」(前田氏)
一方で、ひとくちにSaaS業界と言っても「新型コロナのインパクトは均等ではなかった」と前田氏は振り返る。「コロナが追い風となったのは、オンライン完結型のサービスです」と前田氏はいう。ALL STAR SAAS FUNDの出資先では、AIチャットボットをSaaS型で提供するカラクリ、SmartHR、製造業の受発注業務クラウドを提供するA1Aなどが、コロナ禍にあっても業績好調だった企業だ。
向かい風を受けることになったのは、顧客企業にリアルの接点が不可欠なビジネスだった。「飲食業やサービス業向けの採用支援SaaSなどは、マイナスにこそなっていませんが、ほかと比べると業績の伸びが鈍化しました。お客様を支えるのがSaaS企業の宿命なので、仕方のないところではあります」(前田氏)
とはいえ、既存導入先各社のSaaSへのログイン回数などの数字は総じて上昇したそうだ。前田氏は「みんなが思っていた以上に、SaaSを積極的に活用していたことにはビックリしました」と感想を述べている。
「また企業側のSaaSの使い方も変わりました。経営上の優先事項が事業の継続やコストカットに向かったので、ここに刺さるSaaSは強かったです」(前田氏)
コミュニケーションツール、特にビデオ会議サービスZoomの躍進については「彼ら自身も想定外だっただろう」と前田氏。従来はウェブ会議やオンラインカンファレンス開催機能などが収益源だったZoomだが、コロナ禍でブレーンストーミングや“Zoom飲み”など、思ってもいなかった使い方が広がったと前田氏は指摘する。
Zoomは米国時間の10月14日、SlackやDropboxといった他社製アプリとの連携を発表している。前田氏はこれについて「非常にスピーディーな対応」と評価する。「今、ユーザーがZoomを通して実現したいことをしやすくするための連携であり、API公開だったと思います」(前田氏)
「いつかやる」から「待ったなし」となったDXを支えるSaaS
企業におけるデジタルトランスフォーメーション(DX)の推進は、コロナ以前からトレンドとして存在はしていたが、これは2019年4月からの働き方改革関連法施行による生産性向上のニーズによるところが大きかった。ところが今となっては、DXが「いつか対応できればいい」ことではなく、「一刻の猶予もなくやらざるを得ない」ことへ繰り上がったのではないかと思える。
企業のDXに今、SaaSが与えている影響について、前田氏は次のように述べている。
「分かりやすい影響として、今までオフラインで顧客との接点を持っていた企業がオンラインで完結させようとしているということがあります。(Eコマースプラットフォームの)BASEが今、伸びている理由は、オフラインではなくオンラインで商品を販売していこうという動きがあるからです。また、サポートやサービス業でもできる限り非対面で業務を進めようという傾向があります」(前田氏)
店舗ありきの業態など、リアルで完結するサービスにおいても業務の見直しは進んだという。
「僕たちの投資先でフィットネス業界向けSaaS『hacomono(ハコモノ)』を提供する、まちいろという企業があります。このhacomonoでも、顧客とのさまざまなタッチポイントを可能な限り非対面にしようとしています。決済やチェックイン、インストラクターや部屋の予約といった手続きは、今までフィットネスジムの窓口で対面で調整するものでした。これらがオンラインで完結して、顧客はジムへ出かけたら好きなプログラムをこなし、終わったらそのまま帰ればよい、という形に変わっています」(前田氏)
ジムを運営するオーナーは今、顧客の健康・衛生面にかなり注力しており、無駄な業務をなくすことで消毒などに時間を割こうというモードになっていることもあり、業務の見直しが進んでいるようだ。
さらに経営者にとっては顧客の安全と同時に、従業員の健康・安全にかかわる事項も優先度が高くなっていると前田氏は指摘する。
「SmartHRや会計クラウドなども、人事労務担当者や経理担当者が出社せずに仕事ができるということで、導入が進んでいます」(前田氏)
「AIが仕事を奪う」のではなく「AIがないと経済の維持が難しい」
日本で最近登場しているSaaSには、どのような傾向があるのだろうか。前田氏は、日本でSaaSが登場した2010年前後のサービスは、会計クラウドやリサーチ、請求書管理などの業務でのユースケースが多く、「ホリゾンタル(業界横断型)だった」と分類する。freeeやマネーフォワード、ユーザベース、ラクスといった企業のSaaSがそれに該当する。
その後、2015年ごろから増えてきたのが「バーティカル(業界特化型)SaaS」だ。「例えば建設業界に特化したアンドパッドや、食品工場などの現場管理に特化したカミナシ、教育業界のatama plus(アタマプラス)、薬局SaaSのカケハシなどは、2015年以降にサービス提供を開始したSaaSスタートアップです」(前田氏)
そして2018〜19年あたりからは、特化型サービスにAIを応用したものが現れた。「RevCommや、カラクリ、素材開発の効率化サービスを提供するMI6など、AIを活用した自動化・効率化というのが、直近のSaaSの大きなテーマではないでしょうか」(前田氏)
「この流れは引き続きあると思う」と前田氏。「BPO(業務の外部委託)サービスが行っている業務も含めて、人の手がかかっている業務はまだまだあります。そういった業務を置き換える特化型SaaSは今後も出てくるでしょう」と推測する。
コロナ禍で事業継続・コストカットを意識する企業が増えたことも、自動化・効率化をサポートするSaaSの伸展に影響しているようだ。「会社によっては10人単位、ともすれば100人単位での効率化が可能なAI、SaaSもあるので、コストカットはかなり期待できます」(前田氏)
AIの隆盛とセットでよく語られるのが「AIが仕事を奪う」という話題だ。前田氏はしかし「ある意味、AIがないとこの経済を維持するのは難しいと思います」と述べている。
「労働人口は減っていますが、消費の需要が特に減っているわけではありませんし、自動化によってむしろ、よりクリエイティブな業務にみんなが時間を割くことができたり、顧客と密な関係を持ってサービスを提供できるようになったりする効果の方が大きい。仕事を奪うというよりは、人材を別のところへアロケーション(配置)していく動きになっていくんだと思います。すでに今でも人が雇えない、足りないという声は聞こえてきます。できる限り少ない人数で、同じぐらいのビジネスインパクトを出せる方法を、がんばってみんなが考えているのが今の状況です」(前田氏)
前田氏は、少子化のこの状況が「日本のSaaSに特化して投資活動を行う理由のひとつでもある」と語る。「SaaSやAIが普及しないと、このままでは結構日本の経済はマズいんじゃないかという危機感を感じています。生産性は何倍にも高めなくてはならないので、今よりもSaaSをもっと普及させる必要がある。でなければ、日本の競争力は薄まるし、世界から無視される国になっていくでしょう。そうならないためにも、世界一の生産性や技術力を持っておくことは重要だと思います」(前田氏)

米国、東南アジア、インドなど世界のSaaS動向は
翻って世界のSaaS動向は今、どうなっているのか。SaaS先進国・アメリカでは、50社以上のSaaSスタートアップがIPOを果たしている。普及も進んだことから、特定業務・特定業種に細分化されたSaaSが現れ、浸透している状況だと前田氏はいう。
そこで生まれた需要が「データ連携」だ。「SaaSで大量のデータを持つことによって生じた課題を解決する、データウェアハウス、データマネジメントなどのSaaSが注目されています」(前田氏)
最近では10月12日(米国時間)、電話・SMSなどのコミュニケーション手段をアプリなどに連携するSaaSを提供するTwilio(トゥイリオ)が、約3400億円で顧客データスタートアップのSegment(セグメント)を買収したことを発表した。「Segmentのプロダクトはまさに、さまざまなSaaSプロダクトのデータ連携を促進するもののひとつです」(前田氏)
また、9月にニューヨーク証券取引所に上場し、評価額700億ドル超の値を付けたSnowflake(スノーフレーク)はクラウドデータウェアハウスのスタートアップだ。投資家のウォーレン・バフェット氏が投資会社Berkshire Hathaway(バークシャーハサウェイ)を通じて「珍しくハイテク株に投資した」と話題になった。
ID連携・アクセス管理クラウドのOkta(オクタ)なども例として挙げた前田氏は、「テーマとして共通するのは『SaaSが普及した後に、どうすればSaaS同士が連携できるか、どうすればたまっていくデータを活用・管理できるかといった課題です。アメリカのSaaSはそういうフェーズに進んでいます」と話している。
日本でもSaaS同士の連携を支援するSaaSが少しずつ出てきてはいる。ただし、日本の1社当たりの平均SaaS導入数はまだ1桁台〜10数個程度で、1社平均20個以上を導入していると推測される米国と比べれば少ない。「日本ではデータ連携のニーズはこれから。今はSaaS普及と活用のフェーズと考えています」と前田氏も述べている。
東南アジアに目を転じると「リアルにかかわるビジネスでSaaSが普及し始めている」と前田氏。飲食業界や物流業界向けのSaaSが最近目立っているとのことだ。理由として前田氏は「これらの業態の市場が大きく、事業が立ち上がりやすいこと」「エンタープライズ企業が少ないのでSMB、店舗などで使われるサービスに目が向けられていること」を挙げる。
また、インドではローカルではなく「最初からグローバル展開するSaaS」が多いことが特徴だそうだ。象徴的な例として前田氏が挙げたのが、カスタマーサポートクラウド「Freshdesk」を皮切りに、Google Workspace(旧G Suite)のような各種サービスを展開するFreshworksだ。
「インドでは英語への抵抗が低いこともありますし、アメリカでのインド人コミュニティの強さ、Microsoft CEOのサティア・ナデラ氏やGoogle CEOのサンダー・ピチャイ氏など、グローバルIT企業で活躍するインド人の存在も、インド発の起業家がグローバルを目指す理由となっていると思います」(前田氏)
世界規模の海外VCが日本発SaaSに注目・投資する理由
各国のSaaSがそれぞれの国でプレゼンスを高める中で、昨年来、海外の著名VCによる日本のSaaSスタートアップへの投資が本格化している。
マーケティングプラットフォーム「b→dash(ビーダッシュ)」を提供するフロムスクラッチは2019年8月、米国のPEファンドKKR(Kohlberg Kravis Roberts & Co.)を含む引受先から総額約100億円の調達を発表。オンラインショップ開設や決済サービスを提供するヘイは、2020年8月に米国の投資会社Bain Capitalを含む引受先から約70億円の調達を発表した。9月にはSmartHRが世界最大規模のVC、Sequoia Capitalの関連ファンドSequoia Heritageからの資金調達実施を、10月にはアンドパッドが、Sequoia Capitalの中国現地法人Sequoia Capital Chinaから出資を受けたことを明らかにしている。
前田氏も「海外VCからは毎日のように連絡が来る」と言うように、日本のSaaSスタートアップが世界の投資家から注目を浴びていることは間違いがない。その理由は何か。
前田氏はまず、SaaSがビジネスモデルとして米国で成功していることが土台にあるという。SalesforceやAdobe、Microsoft、Google、Amazonなどのクラウド事業はいずれも業績が伸びている。この1〜2年は先に挙げたSnowflakeやZoomをはじめとしたSaaS企業の上場も相次いでいる。米国のVCから見れば「SaaSの普及は必然」なのだと前田氏は述べている。
ではなぜ、ほかの国ではなく日本のSaaSが投資ターゲットになっているのだろうか。そもそも、SalesforceやHubSpot、Stripeといった米国で成功したSaaS企業が日本にオフィスを構えて参入するのは、市場サイズが大きく、大企業も多いことが理由だ。日本はSaaS展開において、うま味があり、分かりやすい市場だと前田氏は説明する。
「中国市場への参入は特に米国企業にとって今は難しく、国際関係でも敏感な状況にあるため、選択するとしたら日本かヨーロッパ市場になります。日本は安定市場で、すごく伸びてはいないかもしれないけれども下がってもいない。リスクヘッジとしては、いい国だと考えられているのではないでしょうか」(前田氏)
また前田氏は「僕のバイアスもありますが、アメリカより日本の方がSaaS大国になると思います」とも述べている。
「日本では、SaaSが普及しなければならない緊急性が圧倒的に高い。アメリカは人口もまだ多いし移民もいます。米国での自動化・効率化は競争力を上げるための施策であって、生存のためではない。一方日本では、自動化・効率化を進めなければ、事業が持続しない可能性が高いのです」(前田氏)
政府・行政のデジタル化推進も追い風となって、今後はSaaSの活用場面が増え、国民もSaaSに慣れるだろうと予測する前田氏。「企業トップもこれからどんどんデジタルネイティブに変わっていきます。もう何年か経てば一気に変わるときが来るでしょう」と推察する。
SaaS普及は必然だが、質を上げなければ利用者が不幸になる
今後、日本のSaaSはどうなると前田氏は見ているのだろうか。「ありとあらゆる業種・業界がSaaSで支えられるようになり、水や電気のようなインフラになる」というのが前田氏の答えだ。
「現在の日本のSaaS市場規模は5500億円と言われていますが、もっと大きくなるでしょう。何年かかるかは分かりませんが、何兆円規模になることは想像できます。そういう意味では楽観的ですし、SaaSには必然性を感じています」(前田氏)
一方で「日本では、SaaS導入の緊急性が高いがゆえに、サービス、営業、サポートの質を下げようと思えば下げられる。需要が高いので、組織のレベルが上がっていかない可能性があることが気がかり」と前田氏は指摘する。
「やはり、一番いいサービス、世界で通用するようなクオリティのものを作っていきたい。売り方についても、本当に顧客を優先して、顧客のことを思って販売し、場合によってはフィットしない顧客はお断りするようなことも重要だと思っています」(前田氏)
「SaaS普及は必然だが、クオリティを上げていかなければ利用者や顧客企業が不幸になる」という前田氏。ALL STAR SAAS FUNDではこのため、SaaSスタートアップの組織のレベル、サービスのレベルを高めるためのノウハウの提供、情報発信を活発に行ってきた。その一環として2016年から毎年開催しているのが、SaaS企業のためのイベント「ALL STAR SAAS CONFERENCE」だ。
今年は11月11日に、オンラインでの開催を予定しているALL STAR SAAS CONFERENCE。2016年にスタートした時には180人だったイベント参加者も年々増え、2019年には450人に上った。今年はオンラインということもあり、1000人以上の参加になるという。
「SaaS企業は常に、組織としても、開発者としても、経営者としてもレベルを上げていかなければいけないと思います。今年もNotionやHubSpot、SmartHR、Sansanなど、SaaSの先端企業にいる方の組織づくりや営業、マーケティング、カスタマーサクセスのノウハウや事例を共有して、レベルアップ、クオリティアップを促進していきたいと考えています」(前田氏)