空代表取締役 松村大貴氏
空代表取締役 松村大貴氏
  • 業界への打撃と挫折、反省、プロダクト転換の決断と組織縮小
  • リモートで失われた熱量を取り戻すため新しい雇用区分を設定
  • ミッションに共感する外部メンバーによるカンパニーコミュニティ
  • 業界特化型から業界横断型SaaSに生まれ変わったMagicPrice

コロナ禍をきっかけに生活様式や働き方、ビジネスの進め方など、さまざまな変化が起きた2020年も間もなく暮れる。

社会の変化はポジティブ、ネガティブの両面で、スタートアップにもさまざまな影響を与えた。世界的な移動の制約やリモートワーク導入企業の増加にともない、場所を選ばず業務を進めることができ、アナログな業務の電子化や効率化も図れるBtoB SaaSを提供する企業は、コロナ不況といわれる中でもおおむね業績を落とすことなく、むしろ成長を加速させたところも多い。

ただし、対象顧客が飲食業や旅行・観光業といった大打撃を受けた業界では話は別だ。ホテル業界向けにAIによる料金設定サービス「MagicPrice(マジックプライス)」を提供してきたスタートアップのも、痛手を負った企業のひとつだ。

「挫折もあり、反省もありました」空代表取締役の松村大貴氏は、今年の状況についてそう語る。

空では、ホテル業界に特化していたMagicPriceを他業界でも使えるプロダクトへ変更する大きな決断を下した。12月にはその第1弾として、「ハイウェイバスドットコム」を運営する京王電鉄バスの高速バス座席予約システム「SRS」へのダイナミックプライシング(価格変動制)機能の導入を支援し、共同運用を始めている。

組織の縮小、事業の大転換、人事制度の改定、そして新たなスタート。目まぐるしい変化の中にあった2020年を松村氏が振り返る。

業界への打撃と挫折、反省、プロダクト転換の決断と組織縮小

2015年設立の空は、ホテル業界を対象に、需給に合わせた宿泊料金をリアルタイムで提案するダイナミックプライシングサービスを提供してきたSaaSスタートアップだ。

松村氏は、昨年までのホテル・観光業界の状況について「ひと言で言えば上り調子。訪日客の増加によりホテルの稼働率も高く、新規参入も多かった。2020年の東京オリンピック開催へ向けて、盛り上がりがピークを迎えようとしていました」と語る。

しかし、今年に入って状況は一変する。2020年1月以降、新型コロナウイルス感染症が急速に広がっていき、4月には緊急事態宣言が発令。日常生活も制約を受ける中、旅行や観光といった非日常の優先順位は下がってしまった。

「日常を新しい形で乗り越えなければならないという状況にあって、ホテルをはじめとした旅行業界は過去最大レベルの打撃を受けました」(松村氏)

ホテル側も手をこまねいていたわけではない。増加するテレワーク需要に呼応して部屋を仕事のスペースとして提供したり、無症状や軽症の新型コロナ患者を受け入れたり、昼間の需要喚起に努めるホテルも多かった。

「でも、それでは元の需要には戻りません。稼働率も単価も低下して、一時休館するホテルや廃業するホテルも現れました。GoToトラベルキャンペーンで一時的な盛り上がりもありましたが、それも国内旅行者のみでインバウンド需要はいまだにゼロのままです。12月にはキャンペーンの一時停止も発表されましたし、業界全体が振り回された1年でした」(松村氏)

空の事業ももちろん、大きな影響を受けた。松村氏はサービス提供開始当初から「世界中の料金のミスマッチをゼロにすることを目指す」と述べていて、その視野にはホテル業界以外のプライシング最適化も入っていた。だが、2019年までは基本的にホテル業界を対象としてプロダクトを強化しており、顧客のほとんどはビジネスホテルやホテルチェーンが占めている。

「クライアントは営業できず、一定期間休館するところもある状況。MagicPriceはホテルの売上には連動せず、月額固定のサービスですが、間接的な影響はありました。顧客は低レートでの客室販売を強いられていますし、コスト削減にもシビアに取り組まなければならない。新規顧客が『使おう』とはならないですし、既存顧客からも解約の申し出がありました」(松村氏)

空では、結果としてホテル市場を対象とした新たな投資は凍結し、従来の顧客へのサポートに集中。一方で新しい業界に向けたサービス開発へ注力することを4月に決断した。

コロナ禍での決断について語る松村氏
コロナ禍での決断について語る松村氏

前述したように、空の事業ミッションはサービス開始当初から「世界中の価格を最適化し、売り手も買い手もうれしい世界を作る」というところにあった。

松村氏は「ホテルからサービスの提供を開始してはいますが、あらゆる業界で横断的に使われるようなプライシングのサービスを提供して、売り手と買い手のより良い関係性をつくっていきたい。それは創業期から掲げ続けてきたことで、空の野望でもありました」という。

そのため、2019年からは新規事業チームを設置し、他業界へのアプローチを開始している。またアクセラレータープログラムやオープンイノベーションプログラムにも参加し、経験のない業界でのダイナミックプライシングサービス提供のポテンシャルを探り、各業界で最初の顧客となり得るパートナー探しにも取り組んでいた。

2020年2月にはGoogleが支援するアクセラレータープログラム「Google for Startups Accelerator」に、有望なAIスタートアップ9社の中の1社として採択されている。

ただし、新規事業は社内で「新しい取り組みをしている少数チーム」という位置付けにあった。それを今年4月に主力事業に定義し直し、ほとんどのメンバーを新規事業チームに振り分けた。

多くのメンバーが急遽、より広い業界を対象としたプロダクトを担当することになった空。顧客対象を広げるにあたっては、社内で真剣な議論があったという。

「社員にとって空は“チャレンジをする会社だ”という認識はありましたが、他業界への展開が思ったより早くなったという戸惑いはありました。それでもやはりチャレンジしようということで、時間は少しかかったものの気持ちを切り替えて新規事業に取り組むことになりました」(松村氏)

一方で「これは自分たちにとって成功体験ではなく、挫折でもあるし、反省もあり、ショックではありました」と松村氏は声を落とす。

「ホテル業界を軸足にスタートしたサービスを、ずっとホテル業界で使い続けられるサービスにできなかった。それを市場の変化のせいにしていても仕方のないことで、もっと何かできることがあったのではないか、という重い反省会もしましたし、このままは成長できないという判断に至るまでに大きな葛藤がありました。(顧客のニーズに)応えられない状況に一度はなってしまったことはつらかったです。学びは多かったけれども、しばらくは(この思いを)組織として引きずりました」(松村氏)

葛藤の中、空を離れるメンバーもいた。組織の規模も一時は縮小することになり、昨年末ごろ最大で30名いたメンバーは現在、新たに加わったメンバーも含めて22名となっている。

リモートで失われた熱量を取り戻すため新しい雇用区分を設定

コロナ禍により痛みを経験した空。新規事業への道筋が見え、再び組織拡大に取り組むことになったが、今度は以前とは違うアプローチでの組織づくりを試みるべく、新しい人事制度を取り入れることにした。

「WIDE」と名付けられた新人事制度は、10月1日からスタートした。WIDEには2つの大きな特徴がある。1つ目は、正社員か否かではない、3つの雇用区分をつくったことだ。

「もともと、空は『Happy Growth』というビジョンを掲げています。ビジネスの内容だけでなく、組織や働き方や生き方についても、新しいものを世の中に提案して確立し、僕たちがいいと信じる働き方、生き方を目指してきました。だから人事制度も創業時からゼロベースで考えてつくってきた経緯があります」(松村氏)

その上で、コロナ禍での働き方については空でも自問自答があった。そして改めてワークスタイルやライフスタイルについて考え、迷った結果の解として、WIDEの3つの雇用区分が生まれたのだという。

感染拡大でフルリモートになり、5月にはオフィスも解約した空。「(フルリモートになることで)失われた熱量や、集まっていたからこそのスピード感も痛感した」と松村氏は語る。その熱量を取り戻し、新しい組織をつくっていきたい思いもあった。

「これから空を、メンバーが集まって働く会社にするのか、ずっとフルリモートに切り替えるのか。感染症や世の中の状況を眺めていても、テレワーク推奨とはいえ規制があるわけではありません。これは自分たちで決めるしかないと考えました」(松村氏)

区分は無期契約社員の「ドライバー」、有期契約社員の「コラボレーター」、業務委託契約などの「ランサー」の3つに分かれる。ドライバーは組織のコアとして戦略やカルチャーを築く役割、コラボレーターは自由を確保しつつ、スキルで事業に貢献する存在で、ランサーは独立したプロとして仕事を担う役目を持つ。

空の3つの雇用区分
空の3つの雇用区分 画像提供:空

枠組みを決めるにあたって大切にしたのは「人によってリスク感覚は違う、ということです」と松村氏は語る。

「コロナ感染に気を付けながらも積極的に人と会おうという人もいれば、できるだけ接触は避けたいし電車にも乗りたくないという人もいる。全員に『集まれ』とか『集まるな』と乱暴には決められません。個々の方針により働き方を自己選択でき、かつ『誰がどの働き方を選んだかが、互いに見えるように』と枠組みをつくりました。3つでなく、百者百通りでもよかったんですが、それだと効率が悪くなりますし、お互いに『あの人はこうじゃないかな』などと想像や忖度で動けなくなるのはもったいない。枠組みがあることで、お互いの働き方の尊重にもなると思いました」(松村氏)

社内に枠組みを提示した結果、もともと正社員だった十数名の多くはドライバーとして無期契約を結び、週に1度のコア曜日に出社する働き方を選択した。一方、コラボレーター、ランサーとして有期契約または業務委託契約へと変更し、完全にリモートで働くことを選んだ人も、それぞれ数名ずついたそうだ。

家族の都合で、故郷でフルリモートで働くことを選択し、「空から離れるのではなく、関わったまま、新しい働き方を選べた」と新制度を歓迎している人もいる。

新雇用区分は松村氏のアイデアから生まれ、人事担当者や社会保険労務士と相談し、現状のルールでできることを確認しながらつくったという。

松村氏は「まだまだベータ版だと思っているので、今後も見直しは行っていきます。新たに4つ目、5つ目のフレームもできるかもしれません」と話す。

ミッションに共感する外部メンバーによるカンパニーコミュニティ

WIDEの特徴の2つ目は「カンパニーコミュニティ」を設定したことだ。これは、雇用契約や業務委託契約を結んだメンバーとは別に、貢献意欲の高い外部の人たちから成るコミュニティだ。入社に至らなかった採用候補者や退職した社員(アルムナイ)、業務委託として携わったメンバーなどがそこには含まれる。

松村氏は以前からこのようなコミュニティを形成したいと考えていたそうだ。ヒントとなったのは、Googleによるスポンサーのもとで開催された月面無人探査コンテスト「Google Lunar X Prize」に、探査ローバー開発で参加したチーム・HAKUTOの活動だ。

「HAKUTOにはプロボノ(ボランティアとして自身のスキルを提供する専門家)が多く参画していました。参加の動機はプロジェクトに貢献したい思い。金銭的な報酬ではなく、プロジェクトにかける時間の面白さや意義に立脚したコミュニティでした」(松村氏)

コロナ禍以前から松村氏は「働くことや生きる上での、欲求が満たされた幸せは、だんだん得づらくなっていると感じていた」と語る。

「仕事をして、ある程度不自由なく生活できるようになったら、人は次に何を考えるか。人生をかける意義や価値がその仕事にあるかどうかが問われるようになります。そこでは、自分が大きなミッションに貢献できている感覚が内発的モチベーションになる。それも達成したときの達成感よりも、そこへ向かっている日々自体が人生を豊かにしてくれると、自分自身の感覚としてもそう思うのです」(松村氏)

さらに松村氏はこう続ける。

「才能が今の仕事よりもあふれ出ている人に企業が提供できる『幸せ』とは、そういった意義を提供できることです。昔は資本家と労働者の上下関係から始まり、昨今はフリーランサーと会社の関係に見られるようなフラットなアライアンスによるフェアな契約関係へシフトしてきました。その次に来るのは、ミッションによってひも付いた『同志』の関係。上下でも契約でもなく、全員が同じミッションを実現したいという意欲で集まる個人の集合として、会社は再定義されるはずです」(松村氏)

「コロナ禍をきっかけに、こうした個人と企業の関係性を具現化するにはどうすればいいか、一気に考えが加速しました。また、この考え方に共感してくれる人が増えた年でもありました」という松村氏。多くの人が働き方や仕事について考えたタイミングでもあったため、コミュニティを始めることができたと振り返る。

カンパニーコミュニティの初期メンバーには、松村氏の古くからの友人で、ともに仕事をしたことはないけれども応援したい気持ちを持つ人たちや、空のアルムナイなど、10名弱が参加している。メガベンチャーや大企業で活躍する人や、独立して事業を営むメンバーらが、副業のひとつとして緩やかに関係性を持つ。

「空のミッションに共感し、小さなスタートアップのスピード感やダイナミズムが感じられる流れの中に入って、貢献することが楽しいと感じる人が来てくれています。企業なのでビジネスをやっているんですけれども、人間は感情で幸せかそうじゃないかが決まっていくもの。エモくてもいいんじゃないか、思いや夢をビジネスの仕組みに入れてもいいんじゃないかというのが、自分たちのコンセプトでもあります」(松村氏)

空の新人事制度「WIDE」について説明する松村氏
空の新人事制度「WIDE」について説明する松村氏

夢や思いの実現と同時に、松村氏にとってはビジネスのシビアな側面からも、新人事制度WIDEへのバージョンアップは必要なことだった。

「新人事制度をつくった背景には、起業家としての挫折や怖さを経験したことがあります。市況が変わって挫折や反省が残ったし、やり方次第でチャンスは拡大するけれども、フレキシビリティーの下がる投資は怖いと思うようになりました。乱高下はまた起こると思います。優先順位をどう変えなければならないかは読めませんが、変わることは確かです。そのときに組織として対応できない、または、対応しようとして大きなショックが起きることは避けたい。昔ながらの方法で人を集めるのは怖いんです」(松村氏)

そこで組織を柔軟に変化させる仕組みのひとつとして、3つの雇用区分が導入された。また事業環境の転換期にバッファとなる仕組みとして、アクティブメンバーに加えてコミュニティメンバーが参画するカンパニーコミュニティが取り入れられた。

「スマートフォンサービスでは、ダウンロード数とアクティブユーザー数が違うのは当たり前のこと。会社も、事業や個人の状況に応じて、アクティブに関わるときと緩やかにつながっているときがあってもいいのではないかと思うのです」(松村氏)

「正社員としての雇用が守られていないという批判はあるかもしれない」としながら松村氏は「参加メンバーの自己選択と意欲があって、(企業とメンバーの)ギブギブがあれば成立すると思う」とWIDEについて語る。

WIDEは「Working Individuals with Dynamism and Enthusiasm」の頭文字。「ダイナミックに、熱中しながら働く個人の集合である」という、空の宣言でもある。

「スタートアップ採用では『フルタイム or not』みたいなところがあって、ストックオプションなどの関係からもフルコミット型の働き方は多いのですが、フルタイムでなければという思い込みが今までの“もったいない”別れを生んでいたのではないかと感じます。もっと広く、多くの才能を持つ人と仕事ができる方法として、たとえばあるプロジェクトだけ参加するという働き方もアリなのではないかと考えます」(松村氏)

業界特化型から業界横断型SaaSに生まれ変わったMagicPrice

ダイナミックプライシングサービスの他業界への展開は、小規模ではあれ、少しずつ進められてきた空の“野望”だ。だが、今回の高速バス座席予約システムへの導入は、今までの積み上げの延長線上ではないと松村氏は、こう宣言した。

「MagicPriceは、ホテル業界に特化したバーティカル(垂直型)SaaSから、ホリゾンタル(水平型・業界横断型)SaaSに生まれ変わりました」(松村氏)

これまでは他業界へのMagicPriceの応用には、スクラッチに近い個別開発が必要だったのだが、今回発表したものは同じプロダクトでバス業界以外にも展開できるという。

「プライシングサービスは業界ごとの個別性が高く、横展開は難しいと言われてきましたが、コロナ禍を機にホリゾンタルにできることを発見しました。同業界での事例を増やすとともに、今まではプライシングが取り入れられてこなかった業界にも今後は展開できるようになるので、今はとてもワクワクしています」(松村氏)

いずれは、あらゆる業界へMagicPriceを提供したいとしていた空だが、横展開には「もう少し時間が掛かると思っていました」と松村氏。「大きく、強制的な方針転換となりました」と語る。

「新しい業界にどんどんダイナミックプライシングのシステムを提供していかなければいけない。同じ指標、同じ分析モデルでいろいろな会社に対応するのは無理なので、カスタマイズ性を持ちつつ、スピード感を持って提供しなければならない。業界内でも戦略の違う企業をまたいで活用できる状態をつくらなければならない。となると、カスタマイズ性は高い状態ではあるけれども、同じプロダクトでサービスを提供する必要がありました。お題が先にあって、どうやったらできるのかというところからスタートして、黙々と開発を進め、完成形にはほど遠いかもしれませんが、第2のスタートラインへ、ひとまずはたどり着いたのかなと思っています」(松村氏)

ホテル業界のプライシングでは失敗体験も成功体験も数多くありながら、考え続けて5年がたったという松村氏。「ひとつの仮説として、新しい形をようやく自分たちもイメージできるようになってきました。再チャレンジしていくので、今後の発表に期待してください」と話を締めくくった。