カミナシ代表取締役の諸岡裕人氏
カミナシ代表取締役の諸岡裕人氏
  • ノンデスクワーカーの記帳作業を効率化
  • 食品製造工場などでの勤務経験が原体験
  • “バーティカル”から“ホリゾンタル”SaaSへピボット
  • カミナシだけで全てが揃う“オールインワン”SaaSを目指す

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う在宅勤務の普及により、IT企業やスタートアップ以外でも、ビジネスチャットツールの「Slack」やオンラインミーティングツール「Zoom」といった業務を効率化するソフトウェアの導入が爆発的に進んだ2020年。

行政においても、9月に発足した菅内閣は目玉政策として「デジタル庁」の設置を掲げ、「行政手続きのデジタル化を推し進める」と宣言。社会全体のDX(デジタル・トランスフォーメーション)が加速している状況だ。

だが、製造や建築などの現場で働く作業員、いわゆるノンデスクワーカーたちの多くは、未だにデジタル化の恩恵を受けられずにいる。現場作業員の業務効率化を支援するSaaSを開発するスタートアップ・カミナシが独立行政法人のデータを元に説明したところによると、日本には2019年時点で就業人口の約半数である3111万人ものノンデスクワーカーがいる。これは就業人口の約半数にあたる規模で、そのほとんどはPCなどを使わず、紙での作業を続けているという。

「紙での業務を無くし、現場業務の非効率を解消したい」──カミナシの代表取締役・諸岡裕人氏はこんな想いを持つ。 同社は2020年12月に開催されたスタートアップの登竜門となるピッチイベント「LAUNCHPAD SaaS」では優勝を果たすなど、今注目を集めるスタートアップだ。

DIAMOND SIGNALでは諸岡氏に、起業の背景や今後の戦略について話を聞いた。

ノンデスクワーカーの記帳作業を効率化

カミナシが開発し提供する「カミナシ」は製造、飲食、ホテル、運輸、建設など、さまざまな業界のノンデスクワーカーが活用できる「現場管理SaaS」だ。作業員用のアプリと管理者用のウェブサービスで構成され、従来は紙とペンで行っていた記帳業務をデジタル化する。

例えば1時間に一度行う温度管理の記帳作業があるとする。これまでなら紙に時間と温度、担当者のサインを書き込んでいたが、アプリで温度を入力し、写真を撮影するだけで完了となる。データはクラウドに自動的に保存される。工場の責任者はPCやタブレットなどを使用し、作業員からの報告を待つことなく、リアルタイムに管理の状態を確認できる。

アプリには作業をナビゲーションする機能も備わっている。作業員はアプリの指示通りに必要な情報を入力したり写真を撮影するだけで、記帳作業を完結できる。作業間違いが発生した場合にはアラートで知らせてくれるほか、作業内容を自動で責任者に送信してくれる。

カミナシの現場作業員向けモバイルアプリのイメージ
カミナシの現場作業員向けモバイルアプリのイメージ 提供:カミナシ

食品製造工場などでの勤務経験が原体験

諸岡氏は千葉県・成田市の出身だ。同氏は新卒で入社したリクルートスタッフィングで数年間勤めた後に、父親が経営するワールドエンタープライズに入社する。同社は航空会社やホテルなどのアウトソーシングを担う会社。そこでは食品製造工場での勤務や、空港のチェックイン、ホテルの客室清掃など、さまざまなアナログ業務を経験した。

諸岡氏は当時を振り返り、「紙に記帳した情報を事務所に持ち帰り、エクセルに入力してデジタル化する。どの現場でもこのような非効率が発生しており、『どうにかしなければならない』と思っていました。この非効率こそが、カミナシを開発するに至った原体験です」と語る。

だが、そんな原体験を事業アイデアに落とし込むまでには紆余曲折あった。

当時、「単に父親が築いた会社を成長させるだけでは面白くない」と考えていた諸岡氏は、父親から2000万円の予算を確保し、社内起業する。新聞折込チラシのデザインを簡単に作成できるウェブサイトを立ち上げるも失敗し、1年ほどで事業を閉じる。

社内起業にこそ失敗したものの、父親と同じように「32歳で起業したい」と考えていた諸岡氏。「これからの時代はITだ」と確信していた同氏は父親に頭を下げて退職し、東京都のプログラミングスクール、ジーズアカデミーに1年間通うこととなる。

「地元の成田には(テック系ニュースサイトの)TechCrunchを知る人すら周りにはいませんでした。『TechCrunch? 何そのお菓子?』みたいな(笑)。当時は、自分がいたノンデスクワーカーの世界が“イケてない”と思い、逃げ出したかったんです。ジーズアカデミーに入学したのはちょうど(人事労務クラウドの)SmartHRが注目を集め始めたころ。『あのSaaSは良いよね』という会話が飛び交う世界に初めて身を置きました 」(諸岡氏)

諸岡氏は当時、「toCのサービスを開発したい」と考えていたという。だが、良いアイデアはなかなか浮かばない。サービスを企画し 東京都が主催する「Tokyo Startup Gate」など、さまざまなアクセラレーターに応募するも、採択されることはなかった。ただただ唇を噛み締める毎日を過ごしていたという。

“バーティカル”から“ホリゾンタル”SaaSへピボット

転機は2016年の10月に訪れた。諸岡氏は500 Startups Japan(現Coral Capital)が開催する起業相談会のオフィス・アワーに参加。父親の会社で経験した“非効率”を語ったところ、マネージングパートナーの澤山陽平氏から「そのバックグラウンドは貴重だ」とアドバイスを受けた。このアドバイスがきっかけとなり、諸岡氏は食品製造工場の業務を効率化するためのサービスを開発することとなる。

諸岡氏は「父親の会社で感じた“課題”と、これから挑むべき“挑戦”が見事に噛み合った瞬間でした。このアイデアならば自分の経験が武器となり、世の中を良くしていけると確信しました」と当時を振り返る。

その年の12月に諸岡氏はカミナシ(当時の社名はユリシーズ)を設立。約1年半後の2018年5月には500 Startups JapanやBEENEXTを引受先とする総額5000万円の資金調達を実施。同時にカミナシのベータ版をローンチした。当時のサービスは食品製造業工場での利用に特化したバーティカル(業界特化型)SaaSだった。

そして前述のとおり、カミナシが正式にローンチしたのは2020年6月のこと。その“新生”カミナシは、さまざまな業界で活用できるホリゾンタル(業界横断型)SaaSに進化していた。

カミナシだけで全てが揃う“オールインワン”SaaSを目指す

ピボットの理由は、もともと狙っていた市場の小ささが要因にある。食品製造業界に特化する場合、目標としていた20億円のARR(年間定額収益)を達成するためには、40万円という高額なARPU(顧客平均単価)を設定する必要があった。

そこで諸岡氏は、カミナシを食品製造業界だけでなく、製造、飲食、ホテル・サービス、運輸・旅客、設備・建設など、さまざまな業界のノンデスクワーカーが「作業記録」に活用できる新サービスへと進化させた。具体的には、「チェックリスト」や「マニュアル」といった機能を用意し、導入企業が自ら項目や内容を設定できるようにした。

諸岡氏はそんなカミナシを「現場向けノーコードツール」と呼ぶ。今後はより多くの現場で活用できるように機能を拡充させていくという。

8月には外国人人材の活用に向けた多言語翻訳機能、11月には業務監査をクラウドで一元管理できる機能を追加するなど、新機能を続々と発表しているカミナシ。

諸岡氏は先々について、「教育機能、コミュニケーション機能、評価機能を実装していく予定です」と説明する。

「現場の人にはAPI連携で複数のサービスを併用するという考えはありません。今後はカミナシ1つで全てが揃う、オールインワンSaaSを目指します」(諸岡氏)

>>1月5日(火)公開の後編では実際にカミナシを導入する食品製造工場を紹介する