
- なりたいものはなかった。けれど、ネットが好きだった
- CAMPFIREのインターンを通じてスタートアップを知る
- 連続起業家・家入一真氏との出会い
- 第一印象は「オタクっぽい子」
- 「別に起業したいとは思っていなかった」
- “小さな加盟店を取りに行く”を信じるチームに恵まれた
- 「こんなのものでは絶対に儲からない」
- 初値は公募価格割れ、競合も続々
- とにかくずっと、やり抜くしかない
ECサイトを手軽に作成できるサービス「BASE」を提供するBASEが10月25日、東京証券取引所マザーズ市場に上場した。個人が自ら作ったモノを自らネットで売る――この経済圏を実現するため、6年以上地道に開発を続けた結果、80万店舗が利用するまでのサービスに成長した。創業者で代表取締役CEOの鶴岡裕太氏にこれまでの軌跡を聞いた。(ダイヤモンド編集部 副編集長 岩本有平)
「僕たちはECサイトを作ってくれるユーザーの方々のことを『オーナーズ』と呼んでいますが、BASEがやるべきは、コマースや金融、もしくは新しいサービスを使って、そのオーナーズのビジネスをもっと強くしていくこと。つまり『いいプロダクトを作る』ことに尽きます。そのために、上場や資金調達など、どういった手段を取っていくのか。その選択肢があるだけです」
個人や中小規模の事業者をターゲットにしたECサイト作成サービス「BASE」。今春、サービスを提供するスタートアップ・BASEのオフィスに訪れた際に、代表取締役CEOの鶴岡裕太氏はこう語った。当時はまだ、上場承認が下りる前の時期。鶴岡氏からこれ以上の具体的な言及はなかったが、その発言は、上場後の次なる展開を見据えたものだったのだろう。
BASEの創業は2012年12月。当時大学生だった鶴岡氏は22歳でBASEを立ち上げ、30歳になる直前の10月25日に東証マザーズ市場への上場を果たした。鶴岡氏は上場に合わせて、株主や社員に向けたメッセージで次のように語っている。
「上場ゴールという言葉をたまに目にします。勿論今日がゴールではなく、スタートであると本当に心から思っていますが、ここまででも多大なるお金を投資していただいた僕たちとしては、今日という日が大切で特別な1日であるという事実は疑いようがありません。そして、本日以降新たに株主になっていただく皆さま。またこの瞬間から、いただいた大きなご期待にしっかりお応えできるよう精一杯頑張ってまいります」
「最近は友達という感覚の方が近くて、いままで全く友達ができなかった僕にとっては最高の場所で、これからもみんなでミッションを遂行していけると思うと本当に幸せです。(略)そしてそんな場所でこんなにも大好きな人たちに出会えるなんて7年前以前の僕には到底予想できなかった。ありがとう。今後も大変なこといっぱいあるだろうけど、愚直にGEEKに淡々と最高のプロダクトを作り続けられる、そんな世界一偉大なチームになれるよう頑張ろう。良い会社にしていけるようにも頑張るから」
株式市場に向き合うのと同時に、「愚直にプロダクトを作る」ということにこだわる鶴岡氏。その起業家としてのルーツについて、学生時代にさかのぼって話を聞いた。

なりたいものはなかった。けれど、ネットが好きだった
鶴岡氏は1989年12月生まれの29歳。高校までを故郷の大分県大分市で過ごした彼は2010年、東京工科大学への進学を契機に上京した。
「高校は工業高校の情報学科のようなところ(大分県立情報科学高等学校)で、プログラミングも多少は学んでいました。クラスの9割は地元で就職するような学校だったんですが、僕は卒業してすぐに働きたいと思えなくて……。それで『東京に行こう』と決意しました。その頃からインターネットが好きだったので、ネットのことを学べる学校ならいいかな、くらいの気持ちで学校を選びました。当時は特段『これに絶対なりたい、起業したい』という思いはなかったんです」(鶴岡氏)
高校進学以前からプログラミングやインターネットに興味を持っていた。そのきっかけを作ったのは、6歳上の兄だ。兄の鶴岡英明氏も同じく大学進学で上京。東京や福岡でエンジニアとして活動したのち、大分市内にITスタートアップの「イジゲン」を設立した起業家だ。
「兄の影響は大きかったと思います。物心ついた頃には、家に兄のパソコンがありましたし、幼い頃から先進的なことにも触れてきました。僕が大学生の頃には、兄は東京で働いていたので、よく遊びにも行っていました。今も仲良くしています」(鶴岡氏)
CAMPFIREのインターンを通じてスタートアップを知る
兄との交流はあるとは言え、鶴岡氏の学生生活は地味なものだった。大学ではあまり友達も作らず、淡々と授業を受ける日々が続いた。だがプログラミングを学んでいたこともあって、インターネットへの興味はさらに深まっていったという。そしていつものようにSNSをのぞいて見つけたのが、クラウドファンディングサービスを運営するスタートアップ・CAMPFIRE(当時の社名はハイパーインターネッツ)だった。
「もともとクラウドファンディングサービスのKickstarterが好きだったので、そのビジネスモデルに日本で挑戦するというCAMPFIREに興味を持っていました。あるときインターンを募集しているとを知って、応募してみたんです」(鶴岡氏)
CAMPFIREからはすぐに返信が届き、共同創業者の石田公平氏との面接が設定された。そして無事に面接を通過した鶴岡氏は、まだ4人しかいなかったチームに参画することになった。当時のリードエンジニアにプログラミングを学びながら自らコードを書き、サービスの開発に励んだ。大学にはいつしか通わなくなり、自宅とオフィスを往復する毎日になっていた。
当時CAMPFIREのオフィスは、東京・六本木の星条旗通り沿いにあったビルの一室にあった。のちに東証マザーズ市場に上場するフリークアウトのオフィスの一部を間借りしていた。そのオフィスにはみんなのマーケット、カンム、mieple(現:FOND。米国で福利厚生サービスを展開)といったスタートアップも入居しており、それぞれがサービスを開発していた。
連続起業家・家入一真氏との出会い
鶴岡氏がインターン先としてCAMPFIREを選んだのには、もう1つ理由があった。CAMPFIREの共同創業者であり、paperboy&co.(現:GMOペパボ)創業者・エンジェル投資家でもある家入一真氏の存在だ。

引きこもりから起業した実体験をインタビューや自著で語り、社会課題への提言などをTwitterで発信していた家入氏。当時は不用意な言動で“炎上”を起こすこともしばしばあったが、「小さな声をネットの力で繋げる」という思想を掲げる家入氏のファンは当時から多かった。鶴岡氏もそんなファンの1人だった。CAMPFIREに行けば家入氏に会える――そう思って飛び込んだ。実はインターンの募集も、家入氏のTwitter経由で知ったのだった。
「でも当時は全然会社に来なかったんですよね(笑)オフィスで出会ったのは、インターンを始めて1カ月くらいたってからのことでした」(鶴岡氏)
当時の家入氏は、共同創業者としてCAMPFIREに関わる以上に、個人プロジェクトに注力していた。学生やフリーランス、兼業など、さまざまな立場のエンジニアやマーケターを集めて、新しいサービスを作るコミュニティ「Liverty」を立ち上げるにあたり、鶴岡氏も徐々にその活動に関わることになる。最終的にはCAMPFIREを離れてLivertyのエンジニアとして、家入氏の発想をサービスとして実装する役割を担っていった。
第一印象は「オタクっぽい子」
「鶴ちゃんの第一印象ですか。最初は正直、オタクっぽい子が入ってきたな、と思いました。少しぼーっとして見えたし、『インターネットが好きだ』と言っていたし」——鶴岡氏を「鶴ちゃん」の愛称で呼ぶのは、BASE共同創業者で取締役の家入一真氏だ。鶴岡氏への最初の印象は、何度か話す中で変わっていったという。
「『インターネットが好き』とは言っていたんですが、サービスやスタートアップを調べていて、とにかく詳しかった。英語はできなかったんですが、当時から国内外のメディアを見ていて、『こんなサービス出たんですよ、知ってますか?』といつも連絡をくれたんです」
「Livertyを通じて若い人たちとサービスを作り始めた頃から、一緒にいて、話す時間が増えたんですが、気付いたら、誰かと打ち合わせするときには、いつもそばにいるようになっていました。あとから聞いてびっくりしたんですが、当時は僕のSNSをチェックして居場所を見つけて、そこに合流していたそうです。ですが、それくらいの行動力がありました」(家入氏)
その頃から鶴岡氏は家入氏がいる場所を見つけては、直接おもむき、ネットやビジネスの話をしていた。のちにBASEに出資することになるメルカリ創業者・代表取締役社長の山田進太郎氏、ベンチャーキャピタル・イーストベンチャーズ(EV)の松山太河氏など、起業家・投資家仲間らとの親交も家入氏を通じて生まれた。鶴岡氏と家入氏は、取締役会など社内のミーティング以外でも、毎週のように話す時間を作っているという。家入氏は会社を超えた2人の関係性について次のように語る。
「なんなんですかね。歳は離れているけど、先輩後輩のような、“上下”じゃない関係です。友人なんですかね。ただ最近は鶴ちゃんに学ぶことのほうが多いんです。上場や調達の手法ひとつとっても、僕の(paperboyで上場した)時とは状況が違うので、教えてもらっています。見た目はふわっとしていますが、ロジカルに考える人間ですね。でも本質は今も昔も変わってません。暇さえあれば海外のスタートアップやIRに関するニュースを読んだりして、勉強しています」(家入氏)
「別に起業したいとは思っていなかった」
エンジニアとしてLivertyに関わっていた鶴岡氏。いつしか自らのプロダクトを作りたいと思うようになっていた。そこで開発を始めたのがBASEだった。大分県で小売業を営む母親の「ECサイトを作りたいが、既存のサービスは難しくて使えない」という話が、開発の動機になった。また、Livertyでサービスを開発する中で今後「決済」が重要になる、と意識していたという。
サービスを公開したのは2012年11月。当時はLivertyの1プロジェクトという扱いだった。SNSや一部のオンラインメディアに露出した程度だったが、公開から約3週間で7000店舗以上のECサイトが作成され、流通総額は700万円を超えていた。
EVの松山氏に見せたところ、「日本版のShopify(カナダ発のECサイト作成サービス大手)みたいでおもしろい。これは会社にして、自ら代表をやるべきだ」と起業をすすめられた。家入氏も賛同し、共同創業者として参画するかたちで法人化を進めた。
「僕は当時、別に起業したいとは思っていなくて。サービスを作っていればよかったんですが、たまたま尊敬する人たちと一緒にいたら起業することになっていました。だから、尊敬する人たちの信頼のためにも、起業家として必死にならないといけないと感じていました。」(鶴岡氏)
当時大学生で、資本施策についての知識もなかった鶴岡氏。ただ「将来的に自分が困らないようにしてほしい」とだけ家入氏、松山氏に伝えて、方針はすべて2人任せて、BASEの開発に注力した。実際、法人登記から投資に関する交渉まで、ほとんどすべての業務をEVのスタッフが支援した。

“小さな加盟店を取りに行く”を信じるチームに恵まれた
その後は資金、人事、システムと、何度ものトラブルを乗り越え、サービスを大きくしていったBASE。2014年には三井住友カード、ソニーペイメントサービスと組んで、独自の決済サービスを提供。2015年にはオンライン決済サービスの「PAY.JP」も開始するなど、提供するサービスの幅を広げ、出店数・流通総額ともに拡大させてきた。
同社を支援する投資家も増えた。サイバーエージェントやSBIグループ、丸井グループ、メルカリ、マネーフォワードなどの事業会社や、VCのグローバル・ブレインなどが同社に出資をした。
「単純に人として尊敬できる人、良いプロダクトを作っている人が好きなんです。それこそメルカリやAbema TV、Amebaを作っている人たち。SBIは金融ですが、小さな個人をエンパワーするという意味ではBASEと同じような考えを持っています。そういう人に応援して欲しくて、ピンポイントで話をしに行きました。初めて会って『投資してください』と言うようなケースはほとんどありません。もともと知り合いだった人に、投資をお願いしに行くことばかりです」(鶴岡氏)
BASEは、初期費用や月額課金を無料にすることで個人やSMBを集め、決済手数料で売り上げを立てている。サービスを開始した頃は、決済額も小さく、店舗数のボリュームもなかったため、大きなビジネスにはならなかった。競合サービスは初期費用や月額課金を取っていたため、同様のビジネスモデルにして売り上げを高めようという誘惑に駆られることもあったという。だがそれをやってしまうと、最初に目指した「小さな声を拾い上げる経済圏」を作ることができない。ジレンマに悩む状況は続いたが、「事業的に耐えないといけないところを、チームのみんなも、株主も、信じてくれた」と、鶴岡氏は振り返る。
「こんなのものでは絶対に儲からない」
現在、BASEの出店数は80万店舗(2019年8月時点)。GMV(流通総額)は2019年第2四半期(4−6月)で104億円にまで拡大した。小さな企業が商品を販売するだけでなく、アーティストやインフルエンサーが個人でブランドを作り、販売するというケースも少なくない。商品を出せば数分で完売するブランド、月商数千万円を売り上げるブランドなども複数生まれている。

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「あくまで将来的にですが、流通総額は数千億円くらいまで行くと思います。販売単価も上がっているし、店舗数も増えています。店舗がビジネスをできるようになるところまでの仕組みは僕たちが作っていますが、その店舗がどれだけ大きくなるかというのは、世の中の環境次第。今はAmazonやZOZOでモノを買っていた人が、BASEの小さなブランドでも買い物をしていますから(環境はいい)」
今でこそこう語る鶴岡氏だが、サービスを開始した当初、周囲の反応は厳しかったと振り返る。
「『こんなもので絶対に儲からない』とも言われました。今でこそユーチューバーやインスタグラマーといった個人が自分のブランドを作るのは当たり前になりつつありますが、6年前だとありえない概念でしたから。多くのVCに断られました。同業他社の人たちにも『そんな人たち(個人)がショップなんか作らないよ』と、散々言われていました」(鶴岡氏)

ただ、それでも愚直にプロダクトを磨いていった。社内のメンバーが増え、投資家が増えてもそこはブレなかった。
「同じ市場のプロダクトと比較しても一番大きく成長していると思います。それは、毎日少しずつ、本当に少しずつですが、1つのものを作り続けてきたことが大きいと思っています。チーム全員が、ひたむきに6年以上BASEという製品に向き合ってきた。これはなかなか珍しいことだと思います。昔はそれなりにきつい時期もありましたが、頑張り続けてきた。それが今のBASEを生み出しました」(鶴岡氏)
初値は公募価格割れ、競合も続々
鶴岡氏は創業から一貫して、プロダクトに対する思いの強い経営者だ。だが上場した以上、プロダクト以外にも向き合わなければいけないものは増える。上場日である10月25日の初値は、公募価格の1300円を割る1210円。終値は1333円だった。有価証券届出書提出時の想定発行価格の1630円からも値を下げていることを踏まえても、投資家から厳しい目線を向けられているのは間違いない。
BASEの2018年12月期の連結売上高は23億5200万円、経常損失は7億9800万円、当期純損失は8億5400万円で、赤字上場だ。だが流通総額、売上高ともに伸びており、2019年12月期についても、プロモーション費用を除けば黒字化している状況だという。今後は2020年12月期までをマーケティングの段階と位置づけ、2021年12月期以降の黒字化を目指すとしている。
上場時に、既存株主であるVCが大量の株式を放出することについても一部SNS上などで是非が分かれた。だがこれは、オーバハング(既存大株主の売り出しを想定しての売り圧力)を避けて適切な株価形成をするため、BASE側でVCに一律で約70%の株式の売り出しを要求した結果だという。
競合の動きも活発になってきた。前述のShopifyも2017年に日本法人を立ち上げ、本格参入を進めている。175カ国・82万店舗が導入するShopifyの年間流通総額は、グローバルで10兆円(2018年末時点)。日本の導入店舗数については実数を公開していないが、2018年の1年間で舗数4倍以上、流通総額2倍以上に成長しているという。競合は海外勢だけではない。楽天をはじめとしたECモールやECサイト作成サービスも国内には存在している。
とにかくずっと、やり抜くしかない
こういった状況に対してBASEは、まずマーケティングで店舗の裾野を広げていく。加えて、大きく成長した店舗が引き続きサービスを利用できるよう、機能追加を進める予定だ。競合であるSTORES.jpと提携し、予測をもとに売掛債権を買い取ることで、店舗の資金調達を支援する制度「NO CAPITAL」も開始した。「やりたいことはあるが、販売実績がないために融資を受けられない」という店舗に対して資金を提供することで、商圏の拡大をねらう。
「僕たちが持っているテーマってなかなか終わりはありません。金融の面でも店舗のリスクをなくさないといけないし、最近だとポップアップストアをはじめとした、リアルな世界に進出する店舗も増えました。その進出リスクもなくさないといけない。とにかくずっと、そのテーマをやり抜くのが大切だと思っています」
「僕が唯一、自分で誇れることは、『飽きずに同じ事業をやり続けられた』ということ。僕より優秀な人はたくさんいました。優秀さではかなわないかも知れませんが、『これからはこうなるべきだよね』という1つの未来をずっと信じてきた。未来を信じるなんて、1秒後からでもできることなんですが、みんなブレてしまいますよね。でもそこを信じるのが経営者なんだと思います」(鶴岡氏)
小さな声を拾い上げるBASEの経済圏は上場を機にさらに広がるのか。鶴岡氏とその仲間の挑戦は、まさにこれから真価を問われることになる。(写真:林直幸)
