
- 流体力学×AIで“精度99.9%”も実現した水質監視技術
- 少年時代からの「環境」「衛生」への思いをつなぎ起業
- グローバルでも例のない「流体×AI」ソリューションが武器
- 実用レベルの先端技術を評価、目指す世界観も合った買収に
プラント大手のJFEエンジニアリングは10月、AIスタートアップAnyTech(エニーテック)買収を発表した。AnyTechが提供するのは液体・流動体の異常を検知する水質判定AI。AnyTech創業者の島本佳紀氏の話から、鉄鋼業・造船業を事業の発祥とするJFEグループの大企業が2015年創業の同社を傘下に入れた理由を探る。(編集・ライター ムコハタワカコ)
流体力学×AIで“精度99.9%”も実現した水質監視技術
「液体分析の市場は全世界でおよそ6兆円規模。そのうち20%に当たる1.2兆円のシェアを取る」――水質判定AI「DeepLiquid(ディープリキッド)」を開発・提供するスタートアップ、AnyTech(エニーテック)代表取締役の島本佳紀氏は自らの目標についてこう語る。
DeepLiquidは、大学で物理学を専攻し、流体力学を研究していた島本氏の知見を生かして開発したAIソリューションだ。監視カメラの映像をAIで解析することで、水や油、飲料や薬品のほか、溶けた鉄、チョコレート、煙まで、さまざまな流動体や液体の異常検知を即時に行うことができる。
AnyTechでは、DeepLiquidを水処理施設、バイオ医薬品、化粧品、飲料製造工場、自動車関連企業といった幅広い業種の企業へ提供している。従来の液体や流動体の水質監視は、高価な化学センサーを使うか、さもなければ監視員が目視で確認するかがほとんどだった。DeepLiquidは、これをカメラとAIに置き換えることで、異常検知までの時間とコスト削減、監視精度の向上を図ることができる。水処理施設での水質監視の例では、異常発見にかかる時間が3日から1秒に短縮、10人の監視員を2人に削減でき、精度は99.9%を実現しているという。
今年10月、AnyTechはプラント大手のJFEエンジニアリング(以下JFEE)と株式譲渡契約を締結し、JFEEの完全子会社となったことを明らかにしている。買収額は非公開だが、関係者によれば数億円程度だという。鉄鋼業・造船業を祖とするJFEホールディングスのグループ企業として、エネルギープラントや環境システム、社会インフラなど総合エンジニアリング事業を営む大企業・JFEEがAIスタートアップを買収した理由は何か。島本氏の話から、AnyTechの事業をもう少し詳しくひもといてみたい。
少年時代からの「環境」「衛生」への思いをつなぎ起業
島本氏がAnyTechを立ち上げ、流体を分析・判定するAIの提供に至った背景には「環境」「衛生」というキーワードがある。
島本氏は埼玉県の出身。小学生だった平成10年前後のころは、県内の三富地区に産業廃棄物焼却施設が集中立地したことから、近隣でダイオキシン類による影響の有無が大きな社会問題となっていた。周辺地域では学校の水や給食で出される野菜の安全性に対して不安の声が挙がる日々。島本氏は「今の日本でこんなことがあるのかと衝撃で、かなり記憶に残っている」と振り返る。これが、島本氏が環境や衛生に興味を持つ原体験となった。
その後、早稲田大学に進学した島本氏は、学会で中国を訪問した際に、外食先でから揚げを食べて気分が悪くなり、「地溝油」の存在を知った。地溝油とは下水から回収した油を精製して、再生食用油として販売されているもの。もちろん安全性には問題があり、使用は重罪として禁じられているが、中国では屋台や格安レストランなどに広く出回っていて社会問題化している。ここで環境・衛生についてあらためて認識した島本氏は、現在提供しているDeepLiquidのベースとなる、流体の画像処理に関する研究に大学院で取り組むようになる。
島本氏は、この技術を何とか社会課題と結び付けられないかと考え、大手企業との共同研究なども行っていた。だが企業の動きの遅さもあり、またAI技術が現在ほどは成熟していなかったこともあって成果が出せず、この時は社会実装には至らなかった。
こうして一度はソフトウェアエンジニアとして就職した島本氏。だが、課題解決への思いは強く、研究の社会実装を諦めきれずにいた。そこで、地溝油を検査するペン型のハードウェア「毒油検査デバイス」を個人で開発し、ビジネスコンテストに出場する。インターネットサービスがもてはやされる風潮もあり、ハードウェアで評価を得るのはハードルが高かったが、審査員だったユーグレナ取締役副社長の永田暁彦氏から高い評価を受け、優勝をつかんだ。これをきっかけに、島本氏は起業を志すようになった。
しかし、デバイスを必要とするユーザーが見込めるのは中国だ。中国で外国人が起業することは難しく、またハードウェアデバイスは潤沢な開発費用が必要となる。そこで島本氏は自身の研究へ立ち返り、エンジニア時代に習得したAI技術と流体力学とを組み合わせて、分析ソリューションの実用化を目指すことにした。
AnyTechの設立は2015年のこと。最初は水処理施設の異常検知に特化したシステムとしてDeepLiquidを開発し、大手企業へ導入するところからスタートした。島本氏は「大手導入の実績が認められ、その後は流体が関わるほかの業種へもどんどん進出することができた」と話す。
グローバルでも例のない「流体×AI」ソリューションが武器
DeepLiquidのAIの独自性は、液体や流動体など、運動状態にある変動しているものに特化したアルゴリズムだ。動いているものを判定するためには、動画での分析が必要となる。例えばチョコレートなら粘り気が製品の仕上がり具合を判断するカギになるのだが、人間の眼は溶けたチョコレートの様子を静止画で判断しているわけではなく、動画として見て判断している。同じことを動画の機械学習とカメラの眼で実現しようというのがこのAIの特徴だ。DeepLiquidは液体・流動体であれば、各種のパラメータを変えて同じアルゴリズムを利用できるという。

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画像認識の分野では、世界的にも静止画を使った分析が主流だ。「連続した動画を分析するAIソリューションは例があまりなく、あったとしても人間の動きを判断するものがほとんど。これは人の動きを判定しようというニーズが多いことに加えて、データが入手しやすいことが理由だろう」と島本氏は言う。
物体の動きは人体の動きとは異なる。また、動画を分析するには大量の学習データが必要だが、液体を扱う工場のデータはなかなか入手しづらい。だがAnyTechはすでに大手企業への導入例があたるめ、豊富なデータを扱えると島本氏はいう。
「海外にも“流体×AI”のソリューションは例がない」という島本氏。AnyTechは起業初期のAIスタートアップを支援する香港発のアクセラレーター・Zeroth(ゼロス)からアドバイスや資金の提供を受けているが、彼らからも「グローバルで事例がない」と言われた。DeepLiquidの顧客からも、「同様のサービスは見たことがない」と評価されていると説明する。
実用レベルの先端技術を評価、目指す世界観も合った買収に
現在、化学センサーやバイオセンサーが液体の異常検知に使われている現場では、冒頭で述べた時間や人のコストの問題に加えて、定期的なセンサーの清浄や故障への対応といった課題も抱えている。島本氏は「センサーを使った異常検知に使われている予算は、グローバルで6兆円。これを液体に直接触れず、広い範囲を監視できるカメラとAIに置き換えることで、このうちの20%に当たる1.2兆円のシェアを取りにいくつもりだ」と語る。
DeepLiquidのビジネスモデルは、監視に使うカメラの台数ごとに月定額費用を課金するサブスクリプション型。対象とする業界は資源・生物・化学の領域で、具体的には既に進出済みの水処理プラントや飲料・チョコレートなどの食品、薬品に微生物、鉄鋼、植物など、液体・流動体が関連する分野に、幅広く展開を図っている。
島本氏はJFEEによる買収について「AnyTechはJFEEの既存事業とシナジー効果の高い液体・流体の領域に特化していて、この分野で圧倒的な技術力と実用実績がある。事業も成長中で高い収益を上げており、大企業にはないスピード感も持っていることが、パートナーとして評価されたのではないか」と分析する。また、自身がずっと解決すべき社会課題として掲げてきた「環境」を事業とするJFEEとは「目指す方向、世界観も一致している」と語る。
「AnyTechが単体で成長を目指すこともできるが、JFEEにはチャネルや人、プラント施設といったアセットがある。一緒にやるからこそできることも多いと期待している」(島本氏)
