Photo:kertlis/gettyimages
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  • 比較をする際は前提条件が重要
  • デフレ下では現金の価値が上昇する
  • 株価指数から生じる投資への不信感
  • 真の金融教育とは?

2019年6月に金融庁が発表した報告書「高齢社会における資産形成・管理」。その中で、夫婦が夫65歳、妻60歳から年金生活を送る場合、30年後まで生きると想定すると老後資金が約2000万円不足するという試算が示された。

いわゆる“老後2000万円問題”を契機として、日本でも資産運用に興味を持つ人が増えてきた。その結果、金融について学ぶ人が増えたことで、近年は「金融リテラシー」という言葉を耳にする機会が増えている。

同時に、若い世代をターゲットにした「金融教育」に参入するプレーヤーが増えている。スタートアップではABCash Technologiesがファイナンストレーニングスタジオ「ABCash」を展開するほか、女性向けキャリアスクール運営のSHEもマネースクール「SHEmoney」を立ち上げるなどしている。

日本人は欧米諸国と比べて「金融リテラシーが低い」といわれるが、果たしてその説は本当なのか。そして金融教育とはどうあるべきか? 以下は金融教育ベンチャー「マネネ」のCEOであり、経済アナリストの森永康平氏による寄稿だ。

比較をする際は前提条件が重要

日本人の金融リテラシーが欧米諸国と比べて低いと主張される際に、その根拠として引用される資料は主に2つある。1つ目は金融広報中央委員会が公表している「金融リテラシー調査」の結果だ。詳細はさておき、まずは下表を見ていただきたい。日本が欧米諸国よりも正答率が低いことは一目で分かるだろう。

しかし、この結果だけをもって「日本人の金融リテラシーが低い」と結論づけるのはあまりにも早計だ。筆者のようにデータを扱う人間にとって、複数の結果を比較する際、その結果が生じた前提条件が同一であるかを確認するのは当然の作業だが、本件はどうだろうか。

日本の場合は日本銀行に事務局を置く金融広報中央委員会が実施したアンケート調査の結果を用いている。米国はFINRA(Financial Industry Regulatory Authority)が実施した“The State of U.S. National Financial Study”、その他の欧州各国はOECD・INFEが実施した”International Survey of Adult Financial Literacy Competencies”の結果を用いている。

つまり、使われている言語が違うだけではなく、内容が全く同じではない問題に対する正答率の比較になっているのだ。実際、日本と米国の問題を見比べてみると、似たような問題でも回答の選択肢が異なり、出題方法の設計も異なっている。それにも関わらず正答率を横並びにして比較するのは方法論としては適切ではないだろう。

また、日米で日本が圧倒的に劣後しているテーマが「複利計算」となっているが、これは日本人があまりにも低金利に慣れすぎて複利の計算をする機会が少ないという背景や、そもそも金融リテラシー以前に複利の計算方法を知らないという数学力が問われる話であると考える。

日欧の比較では「インフレの定義」というテーマで日本の劣後が目立つが、これも長期にわたってデフレまたはディスインフレ(低インフレ)に慣れ切った日本人にとってはインフレを実感として理解できないという背景があるだろう。

筆者も知識としてはインフレを理解しているが、実感したのは日本で生活しているときではなく、インドネシアの首都・ジャカルタに駐在していたときだ。駐在を始めてから、日本に帰るまでの1年半の間にポテトチップスの値段が10%以上値上がりしており、国全体としても1年間で消費者物価指数は前年比で6%上昇していた。

デフレ下では現金の価値が上昇する

日本人の金融リテラシーが低いと主張する際に用いられる2つ目の資料は、日本銀行が発表している「資金循環統計」のなかで掲載されている以下の図だ。

家計の金融資産の構成を日米欧で比較すると、日本は半分以上を現金・預金で保有しているのに対して、欧米は株式や投資信託などで運用していることが主張の根拠となっている。

しかし、この結果についても現預金の比率が高いだけで日本人の金融リテラシーが低いと考えるべきではないだろう。たとえば、前述した通り、日本は長きにわたってデフレの時代を過ごしてきた。下図は日本の代表的な物価を表す2つの経済指標だ。この25年間でほとんどの期間がデフレであることは一目でわかる。

デフレ下においては現金の価値は上昇する。そう考えると、投資をしたからと言って必ず儲かるか分からない株式や投資信託に資産を移すのではなく、現預金で保有していた日本人はむしろ賢かったとも言えるのではなかろうか。

これもまた前述したが、複数の結果を比較する場合はその結果が生じた前提条件が同一であるかを確認しなくてはいけない。たとえば、確定拠出年金制度は日本、米国ともに存在しているが、日本の場合は確定拠出年金に加入していても、自ら運用指図をしないとあらかじめ決められた商品(デフォルト商品)によって運用が始まってしまう。

日本の場合、このデフォルト商品は定期預金などの元本確保型商品が多く、そのまま積み立てられていくことが多い。一方、米国の確定拠出年金制度でデフォルト商品に指定されるのは、ターゲットイヤー型やバランス型という種類の投資信託である。もちろん、リスク資産での運用が嫌であれば預金などに変更は可能だ。

この両国間における制度設計の違いを考えれば、日米ともに金融リテラシーが低い人が確定拠出年金制度を利用していた場合、日本では定期預金、米国では投資信託での運用となるわけだ。果たして意図せずに生じたその結果だけをもって、日本人の金融リテラシーは米国人に比べて低い、と言えるのだろうか。

株価指数から生じる投資への不信感

とはいえ、日本と米国で投資に対する信頼感の違いはあると筆者も感じている。その違いは各国を代表する株価指数のパフォーマンスから生じるのだろう。

この数年はアベノミクスやトランプ相場、日銀のETF(上場投資信託)買い、バイデン大統領の就任などもあり、日本の株式市場は好調であったが、日本を代表する株価指数である日経平均株価と、米国を代表するダウ平均株価(NYダウ)を比較してみると、パフォーマンスの差は一目瞭然だ。

1970年1月1日を100として指数化すると、この50年間で日経平均が10倍上昇する一方で、NYダウは35倍近く上昇しているのだ。しかも、日経平均が1989年末のバブル最高値にいまだに20%ほど届かないのに対して、NYダウは過去最高値を近年も更新し続けており、「長期投資をすれば儲かる」と信じられる人の割合は米国人の方が圧倒的に多くなるだろう。しかし、この認知が金融リテラシーの高さから生じるということには違和感がある。

真の金融教育とは?

さて、さまざまな観点から日本人の金融リテラシーについての考察を書いてきたが、今後は金融リテラシーを高めるべく「金融教育」という分野が盛り上がるだろう。すでに金融教育を主業として掲げるベンチャー企業は数多く存在している。筆者が2018年に創業したマネネもそのうちの1社である。

その立場からすれば日本でも金融教育が盛り上がり、日本人の金融リテラシーが今よりも高まることは歓迎したいと思うのだが、一点懸念がある。それは日本で金融教育というと、どうも投資教育として資産運用の知識を身に付けることだけを指しているような風潮があるということだ。

筆者は投資や資産運用というのは金融教育のごく一部に過ぎないと考えており、どのように貯めるか、節約するかといった話や、簿記などの会計、税金の話、経済の仕組み、詐欺から身を守る方法など、幅広く教えることこそが金融教育だと考えている。少なくとも私が金融教育の文脈で投資の話だけで終わることは基本的にはない。

2022年度から始まる高校の新学習指導要領において、家庭科の授業で「資産形成」の視点に触れるよう示されたが、投資教育にとどまらない筆者の考える幅広い金融教育が日本で広く普及していくよう、微力ながら今後も行動を起こしていきたいと考えている。