パルスパワーを活用しアニサキスを殺虫する装置のプロトタイプ 全ての画像提供:熊本大学
パルスパワーを活用しアニサキスを殺虫する装置のプロトタイプ 全ての画像提供:熊本大学

アジ、サバ、イカなどの海洋生物に寄生する寄生虫のアニサキスが胃の中に入り込むことで、激しい腹痛や吐き気などを引き起こす食中毒のアニサキス症。厚生労働省の調査によると、国内では2020年に396人のアニサキスが原因による食中毒が発生している。

だが、届出がなかった場合はこの数字に含まれない。厚生労働省・食品監視安全課の担当者は「公表している数字以上に多くの人が発症していると想定される」と説明する。

アニサキス症を知り、寿司や刺身を食べることが不安になったという人もいるだろう。だが、新鮮な生魚を安心して食べられる日はそう遠くないかもしれない。熊本大学の産業ナノマテリアル研究所と水産メーカーのジャパン・シーフーズは「アニサキスに悩まされない未来」を実現するため、共同研究グループを設置。画期的な殺虫方法を開発し、7月2日に開催した報道関係者向けの説明会でその全容を明らかにした。

これまでアニサキスの殺虫には加熱もしくは冷凍以外の手段はなかった。しかし、刺身などの魚身を販売する場合、冷凍してしまうと退色や食感の軟化といった身質の劣化を引き起こしてしまう。さらに、販売の際には「解凍」という表示が必要となり、商品価値が下がってしまう。そのため、身質への影響が少ない殺虫方法が求められていた。

そこで研究グループが開発したのが、瞬間的な超巨大電力を繰り返し流す「パルスパワー」を活用した新たな殺虫方法だ。産業ナノマテリアル研究所とジャパン・シーフーズが共同開発した装置を使い、魚身に瞬間的に大電流を流すことで、温度上昇を抑えながら、アニサキスを殺虫する。実験では、10匹のアニサキスを仕込んだ60枚のアジの魚身と1匹のアニサキスを仕込んだ400枚のアジの魚身、合計で1000匹のアニサキスを全て殺虫することができた。プロトタイプ機では一度に3キログラムのアジの魚身を約6分で処理できたという。

パルス処理前のアニサキス
パルス処理後のアニサキス。殺虫済みで白濁していることが確認できる

研究グループではこれまでの成果について「大電流による殺虫方法は、解凍品に比べて品質の劣化が少なく、チルド食品に近い品質が保たれています。これまで刺身用の魚のアニサキスを殺すには冷凍するしかありませんでしたが、この技術は冷凍に代わる新しい殺虫方法として期待されます」と結論づける。

パルス処理前と後のアジの魚身 加熱や冷凍をしないため見た目の変化が少ない
パルス処理前と後のアジの魚身 加熱や冷凍をしないため見た目の変化が少ない

研究グループでは今年の秋を目処に、プロトタイプ機で処理した生食用刺身のサンプルを出荷する予定だ。同グループはこの殺虫方法に関する特許を出願しており、将来的には装置の販売を目指す。まずはアジ以外の魚身を用いた試験、そして大量生産可能な装置の開発を進める。

ジャパン・シーフーズ代表取締役の井上陽一氏は説明会で「寿司や刺身の文化は世界に広がり、和食はユネスコ無形文化遺産に選ばれました。日本人が大事にしてきた生食文化に対する情熱の火を絶やしてはならないと考えています」と述べた。

井上氏が言うとおり、寿司や刺身の文化は日本から世界へと広がった。だが一方で、食中毒を懸念して新鮮な生魚を避ける人は少なくない。パルスパワーを活用した殺虫装置の低コスト化が実現できれば、海外における寿司や刺身の更なる普及につながるかもしれない。