
- イノベーションは“ハイテク”ではなく“レトロフィット”から生まれる
- スーパーの若手社員にAI学習をすすめる理由
- シリコンバレーでの挑戦と撤退
「日本にはGAFAと渡り合える企業が生まれず、オードリー・タンが現れない、と悲観的な言葉で嘆くのは待ってほしい」──そう語るのは日本のさまざまな組織でDX(デジタルトランスフォーメーション)に向き合う人々を取材し、書籍『ルポ 日本のDX最前線』(集英社)としてまとめた著者・酒井真弓氏だ。
政府をはじめ、小売、飲食、金融、製造、エンタメなどの各業界でDXに取り組む組織や企業の試行錯誤を追ってきた酒井氏が、小売業界で注目した企業のひとつが福岡に本社を置くスーパーマーケットチェーンの「トライアル」だ。
トライアルグループの技術革新の中核を担うのは、Retail AI。売り場の欠品や顧客行動を可視化するAIカメラや、セルフレジ機能付きスマートショッピングカートを開発し、他社への販売も積極的に行っているIT企業だ。DXを実践するトライアルとRetail AIの取り組みについて、Retail AI代表取締役社長の永田洋幸氏の話からひもとく。
※本稿は、酒井真弓『ルポ 日本のDX最前線』(集英社)を一部抜粋・再編集したものです。
イノベーションは“ハイテク”ではなく“レトロフィット”から生まれる
永田には、DXを進める上で大切にしていることがある。それは、テクノロジー先行ではなく、現場のオペレーションに寄り添って変化すること。永田は、「レトロフィット(古いシステムに新しいテクノロジーや機能を追加して改良すること)」と表現する。
クレイトン・クリステンセンの名著『イノベーションのジレンマ』に、「イノベーションの流れはオモチャのようなものから始まる」という一節がある。出始めの頃は単なるオモチャかと思われたサービスやプロダクトが、やがて市場のメインストリームを侵食していく。そのとき、市場を牛耳っていた大企業は太刀打ちできずにディスラプト(変革によって崩壊すること)されていく。
永田は、「トライアルのAIカメラやスマートショッピングカートは、AmazonGoに比べるとまさにオモチャのようで、決してクールではありませんよね」と笑う。「でも、いきなりAmazonGoのようなハイテクノロジーから始めては費用対効果が出せません。まずは、オモチャから何ができるのか。とにかく、たくさん小さな銃弾を撃つんです。どの銃弾が命中するかなんてわかりません。でも、これと決まったら、ドスンと大砲を撃つというのが成功の秘訣だと思います」。ジム・コリンズの『ビジョナリーカンパニー』にそう書いてあったと言って、永田はまた笑う。
「小さな銃弾なら比較的簡単に撃てます。初めからドーンと大砲を撃とうとするから投資もリスクも高くなってしまうんです。例えば、このままではアマゾンや楽天にやられてしまうと言って、リテール企業が続々とECサイトを始めた時期がありました。しかし、最初から大きくやろうとしすぎて、ほとんどが軌道に乗らずに止めてしまった。まずは小さくPoCを繰り返し、どうすれば成功するか摑めてから大砲と一斉射撃、その順番がよいと思います」
だが、普通の企業では、小さな銃弾をたくさん撃つことも簡単ではないかもしれない。まず、「アマゾンや楽天に勝てるECサイトを作ります」などと大見得を切らないと、企画自体が通らないというのは想像に難くない。
トライアルは、オーナー企業であり、トップが腹を決めれば5年、10年という時間をかけてDXを進められる利点がある。2、3年で結果を求められ、その間、自分の評価も守るという呪縛にとらわれたサラリーマン社長タイプではきっとこうはいかない。
そして何より、「トライアル」という社名が、挑戦することを後押ししている。
スーパーの若手社員にAI学習をすすめる理由
永田は、挑戦を前に戸惑う社員がいれば、「僕たちは『トライアル』だよ」と言って背中を押すという。そこには、「挑戦なしに価値は生まれない、失敗は財産」という哲学がある。こういった企業文化の醸成と「ITの力で流通を変える」というビジョンの共有は、トライアルの礎となっている。
永田いわく、社内にビジョンを浸透させるために最も効果的なのは、テクノロジーで世の中が変わっていく事実を社員たちに腹落ちさせることだ。トライアルでは、ジェフリー・ムーアの『ゾーンマネジメント』、ジム・コリンズの『ビジョナリーカンパニー』など、社内に必読書が何十冊もあり、皆で徹底的に読み込むことで考え方を共有し、浸透させている。そのうち、社内の会話に本のフレーズが頻出するようになると、自分たちにとってAIがいかに大事なのか誰に言われなくとも理解し、行動できるようになる。
また、永田は、若手社員に対し、AIを体系的に学ぶため、G検定(一般社団法人ディープラーニング協会が実施するディープラーニングを事業に生かすための知識を測る検定)を取得するように働きかけている。「バイヤーやストアマネジャーといった既存の仕事はいつかなくなります。そうなったとき、現場にデータサイエンスを生かせる人になっておきたいよね」と伝えている。「彼らも自分の将来のことですから、ITパスポート試験の勉強から始めたり、統計学を学んだりと主体的に取り組んでいます」
現場がここまで本気になれるのは、経営陣の本気度が伝わっていることも大きいだろう。永田は、「AIを使わないなんて、死にに行くようなもの」、そう心の底から思っている。
「トップが、DXよりも目の前の利益のほうが大事だと言ってしまえば、その企業はそういう企業になってしまいます。もちろん利益の追求は大前提。利益がなければDXに投資もできないのですが、トップ自らDXよりも出店を増やすほうが大事だとか、リベートのほうが大事だという空気を醸し出してしまうと、DXは進みません」
シリコンバレーでの挑戦と撤退
永田自身、「トライアル」を体現するような人だ。米国の大学を経て、10年ほど前に中国で食品以外にも日用品や衣料を扱うスーパーセンターの事業にトライした。しかし、中国はもともと人件費が安く、店舗経費という概念がないということがわかって断念。その後、自社開発のデータ分析ツールを引っ提げ、シリコンバレーで起業するも、3年で撤退することになった。
シリコンバレーでの起業について永田は、「シリコンバレーで認められないと、世界で認められることはない」という都市伝説に乗っかったのだと笑うが、心中には、「日本であと10年はこのまま勝負できたとしても、30年後はわからない」という強い危機感がある。コロナ禍で、やるべきことの優先順位は大きく変わったが、近くまたアメリカに進出しようと考えている。
また、リテール発展途上国に流通の仕組みを構築するという新たな夢もできた。もちろん日本で実現できないことは、海外でもうまくいかないだろう。日本でしっかりと戦略を組み、盤石な体制で海外に挑みたい。「僕のチームは、ブラジル、ドイツ、バングラデシュ、フィリピンと、ますますグローバル人材が増えています。アフターコロナに向けた施策も着々と進めています」
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