
- エキスパートによる“匠の技”に頼ってきた新薬開発
- AIとロボットを用いたデータドリブンな手法で創薬プロセスを変革
- 中学時代からプログラミングに熱中、父の病気をきっかけにAI創薬の道へ
- 「MOLCUREのAIを使っておけば安心」の実現目指す
新薬の開発過程でAIを活用する「AI創薬」の注目度が高まってきている。
世の中には有効な治療薬のない疾患が3万以上存在すると言われているが、従来の技術では解決されてこなかった疾患のみが残されていくため、必然的に創薬の難易度は年々増していく。
ただでさえ製薬企業が医薬品を市場に提供するまでには約5年から10年の期間、そして約1000億円という大規模な投資が必要とされ、実際に製品として販売される確率は2万分の1と極めて低い。だからこそAI創薬を含む新たな技術や開発手法が求められているわけだ。
実際に海外では数百万ドル(日本円で数百億円)規模の資金を集めるAI創薬系のスタートアップも出てきており、投資家や製薬企業などからの期待値も高い。日本でも同様に関連する企業が育ち始めている状況で、2013年創業のMOLCUREもその1社。複数の大手製薬企業を顧客にもつ同社ではシリーズCラウンドで以下の投資家から8億円を調達し、さらなる事業拡大を目指す計画だ。
- ジャフコグループ
- STRIVE
- SBIインベストメント
- 日本郵政キャピタル
- GMOベンチャーパートナーズ
- 日本ケミファ
エキスパートによる“匠の技”に頼ってきた新薬開発
新薬の研究開発は以下のようなプロセスで進むのが一般的だ。最初の工程は治療したい疾患の弱点を探す「標的探索」。弓矢で的を射抜くシーンに例えるならば、標的探索は「的を探すこと」だとイメージして欲しい。
疾患の弱点(標的)が見つかったら、次はその弱点を攻撃する物質(分子)そのものを設計する。これが「リード化合物探索」と呼ばれる工程で、弓矢の例では「的だけを射抜くことができ、的以外には刺さらないような矢を作ること」を意味する。
こうして作られた化合物は動物実験や人体へ投与する治験などを経て承認を受け、正式に世の中へと出ていくことになる。

このプロセスにおいて、特にAI創薬のスタートアップの台頭が著しいのが標的探索とリード化合物探索の工程だ。
前者に関連する企業としては2021年3月に4億ドルを調達した米Insitroや2019年に9000万ドルを調達した英BenevolentAIなど、後者については2020年8月に1億2300万ドルを調達した米Atomwiseや2021年4月にソフトバンク・ビジョンファンドなどから2億2500万ドルを調達した英Exscientiaなどが挙げられる。
MOLCUREは後者のリード化合物探索を行うスタートアップのうちの1社になるが、特徴的なのは先端技術を用いて開発する「バイオ医薬品(高分子医薬品)」を対象としている点だ。
バイオ医薬品は新しいタイプの医薬品として近年注目を集めている反面、構造が複雑でAI創薬などのテクノロジーが十分には活用されておらず未開拓な領域と言える。実際にリード化合物探索を行うスタートアップの多くは低分子医薬品を対象にしているところが多いという。

MOLCUREではAIとロボットを駆使した独自の「バイオ医薬品分子設計技術」を有しており、この技術を用いて作り出した「分子の設計図」を顧客である製薬企業へと納品する。設計図を受け取った製薬企業はそれを基に分子を作り、上述したような新薬の開発プロセスを進めていくというのが一連の流れだ。
そもそも従来の研究開発手法にはどのような課題があったのか。MOLCUREで代表取締役を務める小川隆氏によると、これまで主流となっていたバイオテクノロジーの実験手法は人間のエキスパートによる“匠の技”に大きく頼ってきたという。
1つ1つの工程に職人技が求められ、そこに運の要素も加わる。その中で良い新薬の候補が見つかることは奇跡に近かった。
AIとロボットを用いたデータドリブンな手法で創薬プロセスを変革
MOLCUREがユニークなのはここに「データドリブン」の考え方を持ち込んだことだ。
大雑把に説明すると「匠の技の中から可能な限りのデータを吸い上げ、そのデータをAIで解析することで、新薬の候補を効果的に見つけ出す」のが同社のやり方。具体的には「進化分子工学実験」という実験手法から得られたサンプルを次世代シーケンサ(ゲノム解読装置)でビッグデータへと変換し、それをAIで解析することで品質の高いバイオ医薬品候補を絞り込む。

「属人的ではなく、かつセレンディピティ(偶然性)にも頼らないかたちで新たな薬をいくつも生み出せるような仕組みを作れないか。それを考えた結果が(従来の実験ドリブンから)データドリブンへの転換という考え方でした」(小川氏)
ポイントとなるのが教師データだ。優れたAIを作る上では学習データが鍵を握るが、匠の技からデータを抽出すること自体が難しく、1つのボトルネックになっている。結果として十分なデータを集められないため、AIを開発するハードルも高くなるという。
一方でMOLCUREでは上述したように、進化分子工学実験からデータを吸い上げる技術を確立(関連する特許も2つ取得)。その上で実験のプロセスを半自動化するための「ロボット」をわざわざ自社で開発し、データの収集からAIの構築、設計図の生成、その精度の検証に至る一連のループを効率よく何度も回せる体制を作り上げた。
「単純なデータ量で言えば世界最大のパブリックDBでも500万エントリーしかデータがないところ、自分たちは10億エントリー以上のデータを集めている」(小川氏)状態を実現できたのは、この取り組みを約8年間に渡って地道に続けてきたからだ。
「全ての技術がAIを中心に設計されています。最強のAIを作るために、AIフレンドリーなかたちでたくさんデータを集められそうな実験手法は何かを考え、あえて王道ではない進化分子工学実験を選び、ロボットチームも作りました。これについては手段を問わず、ある意味“変質的”にやり込んできました。自分自身でもとち狂ったチームだと思いますし、実際に抗体の実験をやっている方からもそのように言われます」(小川氏)


これまでMOLCUREでは米Twist Bioscienceや日本ケミファをはじめとする大手製薬企業、大手製薬バイオテック企業など、累計7社10プロジェクトに自社技術を提供してきた。
各企業との取り組みを通して「従来の方法と比べた場合に医薬品候補分子の発見サイクルを10分の1以下に効率化できること」、「10倍以上多くの新薬候補を発見できること」、「探索が困難だった、優れた性質を持つ分子の設計が可能になること」などが実例として示せる状態になっているという。
ある製薬企業は匠の技を駆使してバイオテクノロジーの実験で抗がん剤を探索するプロジェクトを進めていたが、1種類のバイオ医薬品候補しか見つけることができず苦戦していた。そこでMOLCUREの技術を用いたところ、14種類の候補を発見することに成功。しかも以前エキスパートが見つけた候補よりも性能面で優れたものをAIが発掘できたことがわかった。
実用化の観点では「人間のエキスパートよりもさらに良いものを作れるAIになっていることが重要」だというのが小川氏の考えだ。MOLCUREと同じように高分子医薬品×AI創薬に取り組む企業もグローバルでは出てきているものの、現時点では人間以上のクオリティを実現できているのはMOLCUREくらいだという。

中学時代からプログラミングに熱中、父の病気をきっかけにAI創薬の道へ
MOLCUREは小川氏が慶應義塾大学の先端生命科学研究所の博士課程在籍中に立ち上げたスタートアップだ。
「もともとはコンピューター寄りの人間」と話すように、中学生時代からプログラミングを始め、スーパーコンピューティングのコンテストで全国4位に輝くなどコンピューターに熱中した。
そのスキルを活かし、大学では機械学習技術を用いた「遺伝子解析AI」のような科学者向けソフトウェアの研究開発に明け暮れていたが、父親の死が1つのきっかけとなって徐々にバイオの方向へと進んでいくことになる。
「父が癌になった時に(それまで学んできたスキルを使っても)何もできなかった。それを機に、患者さんに対して最短ルートで貢献できるようなことをやりたいと思うようになりました。すでに抗体医薬品が注目されていたこともあり、自分が知る限りの技術を組み合わせて最適な(創薬手法についての)解を模索した結果、進化分子工学からデータを吸い上げ、そのデータをAIで解析して分子を設計するという方程式に行き着いたんです」(小川氏)

当時のゲノム解読装置はDNAの短い断片しか読むことができなかったが、2012年に長いDNAを読める技術が誕生したことも大きかった。
この2つを組み合わせれば、進化分子工学の実験の中からAIにとって心地よいデータがたくさん取れるのではないか──。試してみると想像以上にうまくいったことがMOLCUREの創業につながった。
しばらくの間は周囲に自分のアイデアを話しても「コンピュータを使って薬を作るとか夢物語を言ってないで、もっと実験を勉強しなさい」と叱られることの方が多かったという。それでも時間を重ねるに連れて共感してくれる企業や、期待を寄せる投資家が少しずつ増え、MOLCUREの技術は国内外の製薬企業に導入されるまでになった。
「MOLCUREのAIを使っておけば安心」の実現目指す
同社では今後も引き続き国内外の大手製薬企業とパートナーシップ(共同創薬パイプライン)を組みながら、新薬開発を進めていく計画だ。国内に留まらずグローバルを主戦場として戦っていく方針で、今回の資金調達はさらに事業を加速させることが目的だという。
冒頭でも触れた通り、AI創薬の領域はグローバルでもホットな領域だ。大手製薬企業とスタートアップのアライアンスが活発になっているほか、米国の主要なVCもバイオ領域のファンドを立ち上げたり、関連するスタートアップに大型の出資をしたりなど積極的な姿勢を見せている。
今回MOLCUREに出資をしたSTRIVEでパートナーを務める根岸奈津美氏の言葉を借りれば「産業革命が起こっているような状況」であり、その中でもMOLCUREは日本におけるAI創薬のリーディングカンパニーとして、世界でも戦えるポテンシャルを秘めていることが投資の決め手にもなったという。
小川氏が見据えているのは、バイオ医薬品の製造において「インテル入ってる」のCMのような世界観を実現すること。製薬企業がバイオ医薬品を作ろうと思った際に「とりあえずMOLCUREのAIを使っておけば安心と思ってもらえるような状態を作っていきたい」と話す。
AI、ロボット、バイオテクノロジーを組み合わせた同社の取り組みが発展していけば、科学者の働き方を変革できる可能性もある。現在は“ゴッドハンド”と呼ばれるような重鎮ですら、労働集約的な作業をせざるを得ない。ロボットに匠の技を伝授し、協働できるようになれば時間の使い方も変えられるかもしれない。
「ロボットで人を置き換えるというのではなく人機一体となることで、人間にしかできないクリエイティブな仕事や、本来もっと時間を使いたいことに集中できるようになる。そのような世界観の実現も目指していきたいと考えています」(小川氏)