
- プロセスエコノミーとは何か?
- 所属欲求を満たすための消費活動
- 世界の若者の「日本のオタク化」
良いものを作れば売れる──そんな考え方は今や“前時代的”なものとなりつつある。ヒット商品が生まれればすぐに模倣され、飽きられるスピードも早くなっている時代において“機能性”で差別化を図るのは難しい。人もモノも埋もれる時代の中で、新しい稼ぎ方として注目を集めている概念が、プロセス自体を売る「プロセスエコノミー」だ。
商品の機能や性能で差別化できなくなったからこそ、その人が持つ“こだわり”や“哲学”が反映されたプロセス、制作過程を売る。2021年7月に『プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる』(幻冬舎)を出版した、IT批評家の尾原和啓氏は「プロセスエコノミー的な考え方はこれからを生きるすべての人に関係がある話で、特別な人にだけ必要な概念ではない」と語る。
ここ1年の間で耳にするようになった「プロセスエコノミー」とは一体何なのか。その正体について、同書の内容を一部抜粋してお届けする。
プロセスエコノミーとは何か?
もはや完成形で差をつけるのってしんどい。そんなことを感じたことはありませんか? このような人もモノも埋もれる時代の新しい稼ぎ方が、プロセス自体を売る「プロセスエコノミー」です。なぜならプロセスはコピーできないからです。自分のこだわりを追求する姿、様々な障壁を乗り越えながらモノを生み出すドラマはその瞬間にしか立ち会えません。
本当に自分がやりたいことをやって、作りたいものを作って生きていくために、プロセスエコノミーは強力な武器になります。このプロセスエコノミーは私が考えた言葉ではなく、クリエイターの制作現場をライブ配信する「00:00 Studio」(フォーゼロスタジオ)を立ち上げた「けんすう」さんが初めて言語化しました。
プロセスエコノミーという聞きなじみのないカタカナ言葉を、どこかとっつきにくい、難しいと思ってしまう人もいるかもしれません。しかし、この本を手に取り読んでくださっている皆さんも、きっと生活のどこかにプロセスエコノミーを取り入れているはずです。
プロセスエコノミー的な考え方はこれからを生きるすべての人に関係がある話で、特別な人にだけ必要な概念ではないのです。
はじめに、けんすうさんがプロセスエコノミーについて最初に書いたnoteを参考にしながら説明しましょう。
「プロセスエコノミー」をわかりやすく理解するために、まず逆の概念を考えてみましょう。これを仮に「アウトプットエコノミー」とします。
アウトプットエコノミーは、「プロセスでは課金せずに、アウトプットで課金する」というものです。たとえば、
- 音楽を作っているところではお金は稼がず、できた音楽を売る
- 映画を作っているところではお金は稼がず、できた映画を売る
- 料理を作っているところではお金は稼がず、できた料理を売る
などです。
売り方は、お客さんから直接課金するケースもあれば、テレビのように広告モデルにするなど両方がありますが、どちらもアウトプットで稼いでいるという点では同じです。このように、アウトプットエコノミーとは、普通の人が考える、極めて一般的な商売の仕方です。
そのアウトプットエコノミーで何が起きているかというと、すべての水準が上がり続けているという状況です。品質もいいし、値段も手頃だし、流通もしっかりしていてちゃんと届きます。
そして、水準が上がりきった結果、差が小さくなっているというのが今の状況です。
そんな状況なので、プロセスが相対的に重要視されるようになってきました。なぜプロセスを見られるようになっているかというと、「アウトプットエコノミーが一定の規模まで到達したことで、もう差別化するポイントがプロセスにしかない」となったからだと考えています。
アウトプットの差がなくなったことで、価値を出すならプロセス、という感じになっているのです。そして、プロセスに価値が増えていった先にあるのが、プロセスエコノミーです。
所属欲求を満たすための消費活動
プロセスエコノミーの大切さを理解するうえで、もう一歩踏み込んで、個人が何を求めて消費をするかを考えていきましょう。
今の消費者は物質的なモノより内面的なコト。自分のアイデンティティを支えてくれる、自分の所属欲求まで満たしてくれることをブランドに求め始めているのです。
なぜか。それはリアルの世界でのコミュニティの消滅という要因があります。 90年代以降の30年間を通じて、都市部は「隣に住んでいる人の顔も名前も知らない」という人類史上初めての状態に突入しました。
それまで人々は、自分が生まれた場所で他人と支え合って生きてきたわけです。自然災害や感染症など予期せぬ生命の危機に見舞われたり、食糧の危機が起きたりすることがあります。そんなときには隣近所、向こう三軒両隣で支え合いながらなんとか生き延びてきました。
所属欲求なんてわざわざ抱かなくとも、人々は必要に迫られ自分が暮らしているリアルな場所で地域コミュニティに所属していました。しかしながら、今や隣に住んでいる人の顔と名前を知らなくても困ることはありません。逆に下手に近所づきあいをしてしまうと、近隣住民とのトラブルが発生するリスクすらあります。
おかしな人と出会ってしまったときに、ネット空間であれば引っ越しは簡単ですが、リアル空間ではそうそう簡単に引っ越しするわけにはいきません。次第に人々は近所づきあいをしなくなりました。都市部には大勢の人が密集しているのに、いつでも集えるリアルな場所がどこにもなくなってしまったのです。
近所づきあいと同様に人々の所属場所であった会社も同じようにその機能が薄まりました。 今や「社員は家族と一緒だ」「社員一丸となってがんばろう」という言い方をすると、「それはパワハラだ」と批判されてしまいます。
企業に属する社員という立場より個人としての生き方のほうが尊重されます。終身雇用制度も崩れ、副業や転職も当たり前にしますから、社員は会社への帰属意識なんてもちません。
核家族化が進んでいるのは言わずもがなで、もともとアイデンティティを満たしてくれていた①家族②ご近所③会社という三大所属先がすべて希薄化し、「どこかのグルー プに所属したい」という所属欲求を満たすことを消費活動にも求めるようになってきているのです。
世界の若者の「日本のオタク化」
アイデンティティの置き場所が企業やインフルエンサーのネット上のコミュニティに移行しているのは世界的な流れです。
近年、世界中の若者も日本人っぽくなってきています。より正確に言うと、日本のオタクっぽくなってきているのです。
2015年にTwitter社に遊びに行ったときに「世界の中で日本だけが一人で複数のアカウントを使い分ける人が多いんだけど、なぜ?」と質問されました。
そのとき「日本は、人と人とのつながりが強く同調圧力が高いから、ネットの中ではリアルの人格とは別の人格を作って、自分の好きを探求しやすくするんだよ」という話をしました。それが2018年になって彼から「アメリカでも複数アカウントを使い分ける若者が増えてきたよ!」と言われたのです。
彼ら彼女らは90年代後半以降に生まれた「Z世代」で、中学生のときには、TwitterとiPhone が標準装備になっています。つまり誰かとつながっているのが当たり前の世代です。
個を大事にするというアメリカですら同調圧力が強くなり、社会人になり始めたときに自分の「好き」は別アカウントで追求する「オタク化」が起き始めてるのかな? と彼と話しました。
今の人の価値観に影響を与えるのは、生まれたときの経済状況や親の価値観など様々なものがありますが、特に大きな影響を与えるのは「いつネット上で人とつながるようになったのか」です。団塊ジュニアは社会人になってから初めて自分のメールアドレスを取得し、インターネットで人とつながりました。
ミレニアル世代は社会に出る前、大学生のときにインターネットとつながりました。そのため、「新しいこと、楽しいことはネット上にある」という価値観をもっています。
だからこそ、ネットにつながっていないと自分だけが取り残されてしまうのではないか、という不安感を覚えてしまいます。これはFOMO(Fear Of Missing Out)と呼ばれ、SNS病の1つとされています。
ネットの中で自分の人格をどう作るか、自分をどう見せるかというメタ認知力が高いのも、この世代(Z世代)の特徴です。ネットにつながり、情報を得ることがデフォルトなので、よりディープなオタクになります。
また、ミレニアル世代と違い、常時ネットにつながっているからこそ、ネットにつながらないことに不安感を覚えません。
JOMO(Joy Of Missing Out)と呼ばれ、むしろ取り残されることに喜びを感じることを言います。それよりも若いα世代は生まれた頃からインターネットとつながっています。ネットのコミュニティごとに自分の人格が別というのが当たり前です。また、最初に出会う他人は「近所の公園にある砂場」ではなく「マインクラフト」と言われるくらい見知らぬ人とネット上でコミュニケーションを取ることに慣れています。
さらにα世代には「オーガニックリーダーシップ」があると言われます。「フォートナイト」や「スプラトゥーン」などのオンラインゲームでは、知らない人たちと1ゲームごとに誰と組んで、誰と戦うかがシャッフルされて目的達成を競います。
この場では自分はチームをリードするのか? フォローに回るべきなの? という瞬間の判断がゲームの成否に大きく関わります。この判断を小さい頃から濃厚に繰り返すので、リーダーシップが育つというわけです。世代によってインターネットとの距離が変わり、プロセスエコノミーとの距離はどんどん近づいています。