
- ザッカーバーグ氏が考えるメタバース戦略
- Horizon Workroomsはオンライン会議室としては3度目の作り直し
- 失敗をもとに設計し直されたビデオ会議システム
- Horizon Workrooms、普及の鍵は?
8月19日にFacebook傘下のVR企業「Oculus」が、同社のVRハードウェア「Oculus Quest 2」向けの専用ソフト「Horizon Workrooms」のβ版を公開した。
このソフトはVR空間内で複数人でのオンライン会議を可能にするシステムで、VR空間内では最大16人まで同時アクセスが可能。Oculusの発表では、「利用者が物理的にどこにいても、同じバーチャルルームに集まって一緒に仕事ができる、コラボレーション体験」としている。
VRハードウェアを使わずに、一般的なビデオ会議システムと同じようにウェブカメラで同じ空間にログインすることも可能。その場合には最大50人までのアクセスに対応している。言うならば、VRとZoomが合体したようなサービスだ。
Facebookが2019年に発表した「Horizon」は、VR空間上に多数のユーザーが集まれる本格的なSNSだが、正式なリリース日はまだアナウンスされていない。
しかし、今回Horizonブランドをソフトの名称として冠したことで、Horizon WorkroomsはFacebookが目指す次世代のSNS「メタバース」を作り出すための一角を担うものとして大きく注目されることになった。このメタバースという単語にははっきりとした定義はないが、持続的に存在するインターネット上の世界でのソーシャル体験を提供するプラットフォームとして理解されている。
ザッカーバーグ氏が考えるメタバース戦略
Facebook CEOのマーク・ザッカーバーグ氏は2021年7月に米THE VERGEが行ったロングインタビューの中で、メタバースをどう捉えているかについて、さまざまな発言を行っている。
メタバースでVRは重要な位置付けになるだろうとしているものの、そのインタビューの中では「VRやARに限らず、PCやモバイル、ゲーム機といった多様な異なるデバイスへと広がっていくもの」と述べている。VRのみに限定しているものではない、というのがポイントだ。
「次の5年の間に、当社は次の段階として、ソーシャルメディア企業から、メタバースの企業として見られるように効果的に移行していくことになると思います」(ザッカーバーグ氏)
メタバースのビジョンを作り上げるために必要なキーワードとして、ザッカーバーグ氏は「没入感(センス・オブ・プレゼンス)」を挙げている。
没入感とは一般に、VR空間内などで見るコンピュータ映像を通じて、現実の世界と見間違うような感覚を生み出し、現実の世界では離れた人とでも、空間を共有しているような感覚が得られることをいう。現実世界とコンピュータ映像との間で体験に差がないと感じられれば、没入感が上がっていると言える。
ザッカーバーグ氏は没入感を強化することで、現在主流となっているZoomのようなビデオ会議システムよりも同じ空間を共有している感覚を高め、より快適に共同作業ができると考えているのだ。Horizon Workroomsのことを具体的に話しているものではないが、彼が今回のサービス公開を念頭に置きつつ話していたのは間違いないだろう。そして、それが日常使いされることも最初から目標になっている。
FacebookがOculusの買収を決断したのは2014年だが、当時のOculusはVRデバイスをゲーム機として売り込むことを主眼に展開していた。しかし、ザッカーバーグ氏はゲーム機としてのVRそのものには大きな魅力を感じてはいなかった。
買収を決断した背景には、「次の10年でVRが、ニュース、スポーツ、映画、テレビ、そして、ビジネスミーティングの場といったあらゆるもので使われるようになる」という彼自身の予想からだった。そして、17年にザッカーバーグ氏は「10億人のユーザーをVRに参加させる」というかなり大きな目標を設定し、発表した。その実現のためには、多くの人の普段の生活のなかに、VRが一般的に使われるような環境が生み出されなければならない。
だから「VR空間上で共同作業できる環境」こそが、そのためのキラーアプリになるとOculus買収時より考えていたと思われる。その実現のために、Oculusは相当のエネルギーを割いてきている。順番としてはその努力が結果的に、メタバースと呼ばれるものの1つとして捉えられるようになったというのが正しいだろう。
Horizon Workroomsはオンライン会議室としては3度目の作り直し
実際、Horizon Workroomsが登場するまでに、Facebookは2度もオンライン会議室のシステムをほぼゼロから作り直している。その変遷から、ソーシャル空間での没入感を生み出すには何が重要なのかを知ることができる。
16年にモバイルVRデバイス「Oculus Go」向けにリリースされた「Oculus Rooms」は自分のVR空間の分身であるアバターを設定し、他のユーザーとVR空間内で音声チャットができるというシステムだった。同じ空間で、一緒に動画を見たり、簡単なゲームをプレーしたりすることができた。

特徴的なのが、ユーザーを表現するアバターはみんなサングラス状のメガネをかけており、目は表現されていなかったことだ。腕の動きも省略され、手先だけが表示されているというシステムだった。また、誰かが話していても、アバターの口の動きはなく、話している人が誰かを示すアイコンが表示される仕組みになっていた。
これは当時の性能の低いモバイルVR機器で表現できる技術的な制約のためだ。しかし、体験してみると、サングラス付きのアバターの顔は誰を見ても、圧迫感を感じさせる不自然さがあった。そして、19年にはこのサービスは終了している。
17年には別のシステム「Facebook Spaces」がVR対応PC用のヘッドセット「Oculus Rift」向けにリリースされている。16年に行われたデモでは、ザッカーバーグ氏が自宅を360度撮影した写真の中で、スタッフと一緒にミーティングをする様子がリアルタイムで紹介された。簡素なグラフィックスで、表情豊かとまではいえないものの、アバターは本人に似せたような形で作られていた。

このデモの画期的なポイントは、Facebookメッセンジャーを使って、通話をしてきた女性が、スマホのカメラ映像を通じて、VR空間にいる人たちとコミュニケーションが取れるという点だった。FacebookがOculusのVRをFacebookのサービスに統合する姿勢を明確に見せたデモでもあった。しかし、Facebook Spacesでも多くの利用者は獲得できなかったようで、このサービスも19年に終了している。

失敗をもとに設計し直されたビデオ会議システム
Horizon Workroomsはこれらの失敗から多くを学んだ上で、さらに改めて設計し直されたビデオ会議システムといえる。一体型VRハード「Oculus Quest 2」をターゲットにさまざまな点が刷新されている。Oculus Quest 2は昨年10月の発売以来、500万台以上の販売に成功したと推計されており、VR市場の中で独占的な地位を築きつつある。
筆者も実際にサービスを利用してみたが、過去のサービスと比較すると驚きの連続だった。各プレイヤーのアバターは、パターンの選択肢も多く用意されている。意識すればかなり自分に似せたアバターを作ることもできる。アバターには上半身しかないが、腕と手が表示されている。
まず驚かされたのが、なめらかな手の動きだ。
Oculus Quest 2のハードウェアの特性上、頭と右手、左手の3箇所の座標しかハード側は座標情報を取得できない。それ以外の腕の部分、特に腕の曲がりや動きは、プログラム側で位置や動きを推定して表示している。それが優秀で、自分のものも、他のプレーヤーのアバターを見ても動きは驚くほど違和感がなかった。
さらに驚かされたのが顔の動きだ。Facebook Spacesでは簡単な表情しか表現できなかったのが大きく変わり、音声の入力に合わせて、口の筋肉の動きをシミュレートしているように見える。そして、目も表示されている。もちろん、現在のOculus Quest 2ではハード的な仕組みがないので、目の動きを正確に追跡することはできない。しかし、適度な瞬きと、頭の動きに合わせて視線が少し変化する工夫とが組み合わされており、そこに自然と人と対面しているという感覚が得られたのだ。
また、3Dオーディオシステムにより、誰がどの方向にいるのかということを奥行き感を伝えつつ感じさせることにも成功していた。Oculus Quest 2に搭載されているスピーカーはそれほど高価なものではない。しかしOculusは、音の立体感を生み出すための技術開発を続けていることを過去に発表しており、それらの技術が見事に生きている。

人間の認知のシステムは、ちょっとした不自然さがあると、すぐにそれを違和感として感じてしまい、没入感が削がれてしまう。Horizon Workroomsはそれを感じさせないレベルに技術を仕上げ、完全に新しい没入感を生み出すことに成功していた。
さらに、リモートデスクトップ機能を組み合わせ、リンクしたPCの画像をVR空間内のホワイトボードに共有映像として表示したり、Bluetoothキーボードをリンクさせてバーチャルキーボードとして登場させたりすることを可能にしている。
ウェブカメラを通じてVR空間にログインするユーザーとは、Zoomのような既存サービスとほぼ同じような操作感で利用できる簡便さも実現していた。

Horizon Workrooms、普及の鍵は?
ひと通り触ってみた結果、普段使いのオンライン会議なら実際に利用できると感じさせる強力な説得力が、Horizon Workroomsにはあった。ソフトを終了させて、ヘッドセットを外して現実世界に戻ると、なにか奇妙な違和感さえあった。自分自身が別のVR空間のなかに存在していたのに、一旦離れると、どこかに存在する空間から、引き剥がされたような感覚さえしたのだ。
Oculusが積み上げている技術には圧倒的なものがあり、VRを使った類似の会議システムは容易には追従できないだろう。Facebookが推し進めるメタバース戦略では“実在感”を大きな鍵として、Horizon Workroomsが重要な役割を担うのは間違いない。
ただ、Zoomの次を目指すメタバースとして成功したと言えるかどうかの指標はシンプルだろう。これが普段遣いのオンライン会議の場として広がるかどうかではっきりするからだ。たとえ、あなたがVRハードを持っていないとしても、2D参加を前提にHorizon Workroomsの招待をビジネスミーティングとして受ける回数が増えるなら、その成功を推し量ることができるはずだ。