
- “いびつな構造”になっていた印刷業界
- 事業ステージによって変わる「解像度」の捉え方
- 100社以上の印刷会社を訪問、作業着をまとい現場を体験
- 「売れるものを作ることが重要」印刷通販の価格比較サイトから始めた理由
- 比較サイトからEコマースプラットフォームへの転換へ
- 「マーケティング、組織、生産」ラクスルの成長を支えたポイント
- “株主からも反対された”新たな産業への挑戦
- 顧客がお金を払ってでも解決したいと感じる課題は何か
- 第3の柱、ノバセルはどのように生まれたのか
- 新規事業における「再現性」についての考え方
- ラクスル自体が「事業を生み出し続けるプラットフォーム」へ
印刷、物流、テレビCM──。設立から約10年の間に異なる3つの業界で立て続けに事業を立ち上げ、急成長を遂げてきた企業がある。印刷プラットフォーム「ラクスル」などを展開するラクスルだ。
2010年にラクスルの前身となる印刷通販の価格比較サービスをローンチ。その後は2015年に物流領域、2020年には広告(テレビCM)領域で事業を始めた。
「リソースの限られるスタートアップは選択と集中をした方が良い」という考え方もある中で、ラクスルでは時に“投資家からの反対”を受けつつも、新たな市場で挑戦を続けてきた。
現時点では全社の売上高に占めるラクスル事業の割合は多いものの、年々その他の事業の割合も増加。2021年7月期の決算資料を見ると特に広告領域のノバセルセグメントが好調で、主力の印刷ECサービス以外の売上高比率は45%を超えてきている。

直近では4つ目の事業として情報システム部門を支援する「ジョーシス」を新たに始めたラクスル。同社はどのような考え方で事業領域を選定し、サービスを育ててきたのか。創業者で代表取締役社長CEOを務める松本恭攝氏に、「事業の作り方」を軸にこれまでの軌跡を振り返ってもらった。
“いびつな構造”になっていた印刷業界
そもそも松本氏が最初に「印刷業界」に目をつけたのは、2008年に新卒で入社したコンサルティング企業、A.T. カーニー時代の経験が大きく影響している。
リーマンショックの影響で企業がコスト削減に必死な時代へと突入し、松本氏自身もさまざまな顧客のコスト削減プロジェクトに従事した。その際にあらゆる“間接費”の中でもっとも削減率が高い費用項目が印刷費用だったという。
なぜこんなにも印刷業界は非効率なのか。詳しく調べてみると、業界が抱える構造的な課題に気がついた。
「全体で6兆円規模の大きな市場であるにも関わらず大手2社がその半分を占めており、そのほかに約3万社の印刷会社が存在しているような状態でした。しかも大手2社を中心に下請け、孫請け、ひ孫請けという構造になっていて、(大手2社の)売上の7〜8割は下請けの製造から来ている。非効率な流通・業界構造であり、事業者の負も大きいと感じました。この構造を変えることで、印刷産業の在り方そのものを変えられるんじゃないか。そのような考えから印刷業界を選びました」(松本氏)
当時松本氏がぼんやりとイメージしていたのが“印刷業界のミスミ”だ。
ミスミは多様な金属部品メーカーのネットワークを作り、それを紙のカタログに集約してクライアントに販売するビジネスで年商3100億円超(2021年度3月)の実績を誇る企業だ。インターネットを活用することで、同社のビジネスモデルを印刷業界に持ち込めないかと考えた。
事業ステージによって変わる「解像度」の捉え方
そのような経験を経て、松本氏は2009年9月に「印刷の新しい発注の仕組みづくり」を目的としたTectonics(2010年1月にラクスルに社名変更)を立ち上げる。

取り組むべき業界を決めた後、どのように解決するべき課題や事業案を詰めていったのか。
キーワードになるのが「解像度」だ。ラクスルでは現在も行動指針の1つに「高解像度」を掲げるほど、事業を進める上で対象の領域や顧客に対する解像度を高めることを重要視している。
ここで興味深いのが事業のステージによって解像度への考え方が異なる点だ。特に事業を始める前の“戦う場所を決める段階”においては「むしろ業界に対する解像度を高めすぎない方がいい」と松本氏はいう。
「やる前から必要以上に調べすぎてしまうと、変革が難しい理由ばかりいくつも浮かんできたり、ビジネスモデルが固定されたりして、結果的に間違った判断をしてしまう原因にもなります。課題の解決よりも他社との競争に意識が行きすぎた結果、(そもそも業界への理解がズレていて)競争そのものがナンセンスだったということも珍しくありません」
「事業をスタートするタイミングでは細かくマーケットリサーチをするよりも、そもそも何の問題を解決するのか、マクロな観点から『構造的な課題を抱える領域』を見定めた方がいいと思っています。結局、外から調べて見えることってあまりないんですよね。やってみて初めて見えることの方が断然多いです」(松本氏)
松本氏自身も印刷業界でサービスを立ち上げるにあたっては、細かいヒアリングやリサーチはしなかった。もちろん現在と比べると状況は全く異なるものの、たとえば印刷通販の「プリントパック」の存在なども詳しくは知らなかったという。
一方で、いざ事業をやると決めた後は徹底的に解像度を高めることを意識した。
「基本的に顧客は常に複数の選択肢を持っていて、その上でどのサービスがいいのかを判断します。事業者ごとの差を知らずにサービスを提供していては、顧客から選んでもらうことは難しい。顧客がなぜそのサービスを選んだのかを徹底的に掘り下げながら、(業界や顧客への理解を)突き詰めていく必要があります」(松本氏)
100社以上の印刷会社を訪問、作業着をまとい現場を体験
では解像度を高めるために何をするべきか。松本氏の場合は「とにかく現場を回った」という。
サービス立ち上げ前に印刷会社を100社以上訪問し、担当者に話を聞くだけでなく、実際に自ら印刷機を回してみた。自分自身が現場に入り、細かいオペレーションも含めて一連の流れを体験することが重要だと考えたからだ。
印刷会社で働く人の目線では、どのようなオペレーションが存在しているのか。俯瞰的に印刷会社の経営者の視点で見るとどのような課題があり、1つ1つの課題がどのように繋がっているのか──。そのように業界への解像度を高めながら、ラクスルのアイデアを深めていった。
「話を聞くよりも現場を見る。そして現場を見るよりも実際に体験する。百聞は一見に如かずではないですけど、実際に作業着を借りて印刷の現場で作業をしてみることを意識的にやっていました。当時から『解像度は現場以外では培われない』と思っていたので、それを1社ではなく10社、20社と重ねていく。流石に全部の会社でそこまでやったわけではありませんが、100社以上に話を聞いて、現場を見学させていただくということに対して時間をかけて取り組みました」(松本氏)
「売れるものを作ることが重要」印刷通販の価格比較サイトから始めた理由
創業翌年の2010年4月、ラクスルは印刷通販の価格比較サービスサイト「印刷比較.com」を立ち上げた。当時は現在のEコマースモデルではなく、シンプルな価格比較サイトからのスタートだ。

サービス案を決めるにあたっては、最初から1つのアイデアに絞るのではなく価格比較サイトとEコマースサービスを同時に小さくローンチし、検証した。
印刷会社と顧客の間に立つプラットフォームを作ることは決めていたが、双方を取引で結びつけるのか(Eコマース)、情報で結びつけるのか(比較サイト)。事前にあれこれ考えすぎるよりも、実際に顧客から使われた方にフォーカスすることを決めた。その結果、より売れたのが価格比較サイトだった。
松本氏が考えていたのは「売れるものを作ることが重要であり、良いものとはお金を払ってもらえるものである」ということ。比較サイトは初月から100万円ほどの広告収入を得ることに成功するなど、規模は小さいながらも顧客に対して価値を提供できていた。
2010年当時は、起業家も「青年実業家」と言われることの方が多く、ベンチャーキャピタルなどの投資家からスタートアップへ流れるリスクマネーがほとんどない時代だ。Amazonやアスクル、MonotaROなど他業界のプレーヤーを見ていても、Eコマースで強い事業を作るには何十億、何百億レベルの資金がないと難しいという実感もあった。
その点でも、大きな資本がなくても始められる価格比較サイトは理にかなっていたわけだ。
比較サイトからEコマースプラットフォームへの転換へ
その後サービス名の変更(2010年9月に印刷比較.comからラクスルへと名称変更)やリニューアルを加えながら「印刷のポータルサイト」として少しずつ認知度を広げていったラクスルは、2012年から2013年にかけて1つの転換点を迎える。
現在のEコマースモデルへのアップデートだ。前提として、松本氏は早い段階から比較サイトモデルでは継続的な成長が難しいと感じていたという。
比較サイトの主な収益源は印刷会社からもらう広告費だが、印刷業界は基本的にセールスが顧客獲得手段の主流となっているため、販促費にはそこまで予算を割かない企業が多い。
これが食品や化粧品領域であれば、メーカーが販促費に大きな投資をするため、広告費をもらうモデルでも十分に成立しうる。ただ印刷においては、この事業のみを展開していても解決できる問題の大きさが限定的であると松本氏は考えていた。

事業モデルの転換には、2つの出来事も影響していたという。1つはサービスが拡大する中で、比較サイトモデルであるが故の課題に直面し始めていたこと。
その頃には月に400〜500万円の広告費を獲得できるサイトにはなっていたが、一方で取引件数が増えるに伴い「仕事を請けたのにお金を払ってもらえない」「発注したものの印刷の品質が悪い」といった決済や品質に関する相談が増えていった。
比較サイトはラクスルが直接流通に入るわけではないため、品質のコントロールを担保できない。そこにほころびが生じ始めたわけだ。
もう1つが資金調達だ。ちょうど同じ頃、日本でも再びベンチャーキャピタルがスタートアップへ投資をする流れが復活し始めた。松本氏も2011年から2012年にかけて40社ほどの投資家にアプローチし、最終的に2012年にシリーズAで2.3億円の資金を調達する。
当時抱えていた課題の解決や今後の継続的な成長を見据えると、Eコマースモデルに変換する必要がある──。これを機に、ラクスルは以前から温めていたモデルへと転換することを決断。水面下で準備を進め、2013年3月に印刷シェアリングプラットフォームのラクスルとして再スタートを切った。
「マーケティング、組織、生産」ラクスルの成長を支えたポイント
ラクスルはその後もシリーズBで15.5億円(2014年)、シリーズCで40億円(2015年)、シリーズDで20.5億円(2016年)と約5年で80億円近くの資金を調達しながら事業を一気に加速させていくことになる。特に松本氏が成長ドライバーになった要素として挙げるのが「マーケティング」「組織」「生産」の3点だ。
シリーズAの段階ではPMF(プロダクトマーケットフィット)に向けてビジネスモデルとサプライチェーンを磨き込んだ上で、サービスのユニットエコノミクスの検証に力を入れた。初期のマーケティングチャネルはデジタル広告が軸。仮説検証を繰り返した結果、「デジタル広告にいくら投資をすればどれだけ伸びるか」を高精度で予測できるExcelモデルが完成していたという。
一方でシリーズB以降は成長角度を上げるべく、当時のスタートアップとしてはまだ珍しかったテレビCMに踏み切ることを決断。そのために15億円を超える大型の資金調達を実施した。
後にノバセルとしてテレビCMに関するプロダクトを開発するほど、ラクスルにとってCMは重要なチャネルとなっている。テレビCMへの挑戦はラクスルの成長を加速させ、明確な転換点の1つになったと松本氏は振り返る。
事業が拡大すれば組織の強化も必要になるが、ラクスルも多くのスタートアップが経験するのと同様に、組織拡大においては苦い経験もした。
「マネジメントの体制なども十分に確立されていない中でメンバーがかなり疲弊をしていった結果、短期的に離職率も上がってしまっている状態でした。実はこのタイミングでマネジメント層のメンバーがガラッと全員替わるという経験もしていまして、組織としては非常に痛い記憶でもあります。ただ現在から振り返ると(当時参画したメンバーが重要な役割をになっているので)、大きな転換点だったと感じています」(松本氏)
事業面では自社で製造ノウハウを蓄積し、強固なサプライチェーンを構築できたことが大きいという。
松本氏によると「一見シェアリングエコノミーの発想で空いた時間を用いて印刷をしているから簡単にできるだろうと思われがち」だが、実際には生産のプロセスにかなり入り込み、ノウハウを自社で蓄積した上で印刷会社のサポートを手厚くやっている。
「そのために何をしたかというと、まず自社で印刷機を3台購入したんですね。これは非常に重要な決断で、『単なるインターネットのマッチング屋』から、自分たちで製造ノウハウを持ち、それを軸に生産体制やサプライチェーンを構築していく方向へと変えていった。生産における入り込み方を一段階上げて、自分たちのナレッジを蓄えていくという決断をしたんです」(松本氏)
松本氏は以前からラクスルの印刷事業を「日本全国の印刷会社をネットワーク化した、仮想的な巨大な印刷工場」のようなものであると表現している。
このコンセプト自体は松本氏が学生時代に米国を訪れていた際、現地で上場した仮想サーバーを手掛ける会社からも刺激を受けているそう。「インターネットの力を使うことで世の中に分散しているものを仮想的にまとめ上げ、一つのアセットとして見なすことができれば、大きな価値が生まれるのではないか」という発想が原点にあるという。
この思想からも、ラクスルで目指していたのものが単なるマッチングビジネスとは少し異なることがわかる。
「このビジネスはマッチングだけでは価値が出せないんです。中間加工のオペレーションをしっかり磨き込まないと成立しない上に、そのノウハウを持っているプレーヤーがマーケットに存在しないので、ゼロから何十年もかけて作り上げなければなりません。この中間加工こそが我々が介在することの意味であり、顧客にとっての付加価値でもある。そして同時に他の会社にとっての参入障壁にもなるんですね。だからそれを徹底的に突き詰めていくことは顧客価値の最大化にも繋がるし、そのまま自分たちの強みにもなる。事業上絶対に外せないポイントなんです」(松本氏)

“株主からも反対された”新たな産業への挑戦
ラクスルが着々と成長を遂げる裏で、松本氏は早くも次の事業のタネを模索し始めていた。
Eコマースへと舵を切った翌年の2014年ごろからは具体的に検討を始めていたというから、かなり早い時期だと言えるだろう。
「会社を設立した初日に『仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる』というビジョンを作ったのですが、その中には『印刷業界の』という言葉をあえて入れませんでした。それは印刷業界の仕組みだけを変えたいわけではなく、日本のさまざまな産業の仕組みを変えたいと思っていたから。印刷事業が伸びていて手応えも感じ始めていた時期だったからこそ、今を逃せば引力に引きずられて別のことを始められなくなるという強い危機感がありました」(松本氏)
ラクスルは2015年にシリーズCの調達を実施しているが、大型の調達をすればその分だけガバナンスも強くなる。新たな投資家を集める前に決断をしなければ、新たな事業に参入することが難しくなるという考えもあった。
「(新たな産業で事業を始めることについては)やはり既存の株主からも反対されましたし、普通に考えればあまり新しいことはせずに、勝ち筋が見えたところで全力疾走するべきフェーズだったのかもしれません。でも複数の産業の仕組みを変える会社を作りたいというのがラクスルの在り方なので、もうこの時期に始めてしまおうと決断しました」(松本氏)
次に挑戦する市場を決めるプロセスはラクスルの際と同様で、構造的に大きな課題を抱えている産業を探した。特に大手が市場を寡占していて、その下に小さな会社がいくつもあるような多重下請け構造になっている業界はどこか。
そこで浮かび上がってきたのが物流業界だった。
顧客がお金を払ってでも解決したいと感じる課題は何か

ラクスルでは2015年夏、荷主と配送会社やドライバーをつなぐ物流のシェアリングプラットフォーム「ハコベル」のベータ版をローンチしている。同サービスを開発するにあたっても、基本的にはラクスルと同じようなアプローチで解像度を高めていった。
この事業に対してパッションを持てる専任者を採用した上で、一緒に運送会社の説明会に行ってトラックに乗ってみるなど、現場を体感することを重視。いきなり大きなチームを作るわけではなく、1年以上は3人というミニマムな体制で小さく始めた。
もっとも、印刷事業の時と全く同じアプローチかというとそうではない。物流領域においてはEコマース/マーケットプレイスモデルのハコベルと並行して、事業者向けのSaaSプロダクトである「ハコベルコネクト」も展開している。
「基本的な考え方として、顧客やパートナー企業、サプライヤーなどが抱えている課題からスタートすることを大切にしています。何を課題に感じていて、どの課題であればお金を払ってでも解決したいと思っているのか。顧客の課題に対する解像度を上げていった上で、その課題を解決するために適切なモデルや有効活用できるテクノロジーを探していきます」
「顧客の課題が業界によって大きく異なれば、必然的にHowの部分である事業のアプローチも違ってくる。だから決してマーケットプレイスかSaaSかといったように、ビジネスモデルからスタートしているわけではないんです」(松本氏)

たとえばサプライヤーの数の点でラクスルとハコベルでは大きな違いがある。
ラクスルに関しては百社を超える取引先とタッグを組むことで十分な生産体制を作れているが、ハコベルの場合はすでに2万7000台近くのトラックが登録されており、多くの運送会社や個人が携わるサービスになっている。膨大な数のサプライヤーが存在するからこそ、テクノロジーを活用しながら各社の生産性を上げていく必要性も高い。
また利用頻度に関しても印刷と比べて物流の方が圧倒的に多いという。印刷が大きな会社でも週に1〜2回なのに対し、物流の場合は顧客の多くが毎日何十台のトラックを動かしており、これが止まるとサプライチェーンも止まってしまい、大きな打撃を受けることになる。
現在ハコベルコネクトはネスレ日本や日清食品など大手企業を中心に16社が導入しているが、各企業にとって物流は事業の肝の1つだ。
そこにおける業務プロセスの負や非効率性を解決するには、マーケットプレイス単体ではなくSaaSを通じた業務プロセスの改善をセットで提供しないと良い価値は出せない。そのように考え、SaaSの開発に着手したのだという。
第3の柱、ノバセルはどのように生まれたのか
このコマース/マーケットプレイスとSaaSプロダクトを同時に展開するというアプローチは、第3の柱でもある広告プラットフォーム「ノバセル」でも共通する。
もともとノバセルは他の2つの事業とは異なり、印刷事業の一環としてボトムアップに近い形で生まれたものだ。
ノバセルを立ち上げる前、松本氏はラクスルのコールセンターの拡張を考えていた。既存のエリア内だけでは採用面などで苦労するようになっていたため、新たな拠点を構えるべく、複数のコールセンター事業者などにも話を聞きながら検討を進めていたという。
そんな時、ある地方のコールセンター事業者から「来月までに300人の人員を集めなければならない。500万円の予算があるので、ラクスルの折り込みチラシを使いたい」という旨の相談を受けた。
「我々はテレビCMに投資を続けていたこともあり、そのエリアの単価も知っていました。それを踏まえて『500万円あるならテレビCMの方が効果的かもしれませんよ?』とお伝えしたところ、『え?テレビCMって500万円でできるんですか?』とおっしゃられて。実際に調べてみるとテレビCMの単価は意外と世の中に知られておらず、ブラックボックスになっていることに気がつきました」
「テレビCMへアクセスするハードルが高い状況の中で、そのハードルを下げることがあれば新しいCMの在り方が作れるかもしれない。そこに大きな可能性を感じたことがきっかけになりました」(松本氏)
そんなアイデアを社内のメッセンジャーに投稿すると、CMOを始め「面白い」という反応が飛び交った。
松本氏いわく「我々自身がナレッジを持っていて、経験があったからこそ参入を決めることができた」一方で、サービスの形態自体は当初から現在にかけて大きく変わってきているという。
「現在は運用型広告という打ち出し方で、(SaaSプロダクトの)ノバセルアナリティクスを通じてテレビCMの効果を科学していくようなアプローチを採っています。ただ当初は(テレビCMの枠を)わかりやすいようにオープンにした状態で、Eコマースで販売すれば喜んでもらえるのではないかと考えていました」
「要はその時点では解像度がまだ低かったんです。実際にサービスを提供するうちに事業責任者を中心に解像度が高まり、プロダクト自体も顧客により価値を感じてもらえるようにブラッシュアップし続けています」(松本氏)

なお、Eコマース/マーケットプレイスとSaaSを同時に展開するというモデル自体は今後のラクスルにおいても軸となる考え方になりそうだ。
松本氏の考え方によると、Eコマースやマーケットプレイスの役割は「取引」の間に入ることで、買う側と売る側など当事者の双方をより滑らかに結びつけること。他方、SaaSはこの取引の前後に存在する「業務」を効率化していく際に力を発揮する。
「この『取引』と『業務』は切り離されたものではなく、一体化されていると考えています。業務プロセスの先に顧客がいて、商品やサービスを買ってくれることで売り上げが立つといったように繋がっているんですね。自分たちとしては業務と取引、それぞれの課題をセットで解決していける会社を目指したいと思っているので、マーケットプレイスとSaaSを一緒に提供しています」(松本氏)
その際にどこでお金を貰うかによってビジネスモデルとしての違いは出てくるが、顧客やパートナーの課題を解決するには、業務と取引の両方にアクセスする必要があるというのが松本氏の考えだ。たとえば印刷領域では今のところ有料のソフトウェアは販売していないものの、サービス内で「チラシを簡単にデザインできるツール」などを無料で提供する取り組みは行っている。
印刷事業においても、今後単体でも大きな付加価値を生み出せるものが出てくれば、SaaSとして展開する可能性は十分にあるということだった。
新規事業における「再現性」についての考え方
構造的な課題とそれを解決できるチャンスのある大きな産業であり、そこにパッションを持って取り組めるリーダーとチームが存在すること──。ラクスルがこれまで立ち上げてきた事業にはそのような共通点があるが、中でもリーダーを中心とした強い組織を作れるかどうかが重要になると松本氏は話す。
個人的には既存事業のナレッジが横展開できるかといった“再現性”のようなものをどう考えているのかが気になって聞いてみたところ、既存事業の拡張においては再現性を意識している反面、新たな産業で事業を作る際には「再現性にとらわれすぎない方が良い」という。
「たとえば(印刷事業としての)ラクスルの中でも、ラベルの印刷やノベリティ制作など領域を拡張しています。これについては過去のナレッジがかなり活用できているんですね。結果的にナレッジが蓄積されるほど拡張のスピードも上がり、(各事業の)売上総利益の成長スピード自体も上がってきている側面があります」
「一方で新しい領域においては、あまり再現性にとらわれすぎない方が良いというのが私の考え方です。それは繰り返しになりますが、やはり顧客やパートナーが違えば課題も異なるので、同じことをしてもうまくいかないケースの方が多いから。むしろそのような場合には(ゼロから事業を開発していける)チームを作るということの方が、再現性を高められる余地があると思います」(松本氏)
創業からしばらくの間は松本氏の中でも「自分が最も解像度が高い」という感覚があったため、意思決定も自ら率先して行っていた。
ただそのやり方を続けていては、自分の限界によって事業の領域やポテンシャルも左右されてしまう。特に複数の領域で事業を生み出すことを前提としたラクスルにおいては「リーダーやチームを育てることの再現性にフォーカスするのが1番良いのではないか」と考えるようになったという。
ラクスル自体が「事業を生み出し続けるプラットフォーム」へ

ラクスルでは顧客価値の源泉として「売上総利益」を重要な指標に置いている。売上総利益は顧客・サプライヤーへの付加価値を示すものであるため、世の中に生み出す付加価値を増やせば増やすほど、売上総利益が増えていくからだ。
この売上総利益を飛躍的に増やしていく上では、継続的に新たな事業を生み出し続けていかなければならない。
「この数値が2016年から2020年までにかけて5倍ほどになったのですが、これを次の5年でさらに4倍にしていこうと考えています。我々が世の中に出せる付加価値を増やすことで、50億円のところを200億円まで増やしていこうと。それを踏まえると、今の延長線上では全然届かないんです」
「3年後、5年後に新たな付加価値を生み出すような事業を開発することが不可欠で、今はある種の『スタートアップ』のようなものを社内でたくさん作る取り組みに力を入れています。ハコベルやノバセルもその一環ですし、印刷事業の中でもそのようなことに挑戦しています」(松本氏)
社内でゼロイチの事業にいくつも挑戦し、1になったものを10に伸ばし、さらに100へと育てていく──。1つ1つのパイプラインを1つの会社のように見立て、そのパイプラインが同時並行で複数動いている。これがラクスルの考える「事業開発」だ。
2025年にはこのように生まれた“ラクスル内スタートアップ”が、十数チーム確立されているようなイメージをしていると松本氏は話す。
「ラクスル自体を『事業と人と富を生み出し続けられるプラットフォーム』のような存在にしていきたいと考えています。産業を生み出すプラットフォームであり、その担い手となる人材を生み出すプラットフォームでもある。そのために『起業して得られるインセンティブ』に近しいインセンティブをしっかりと渡せるような仕組みも作っていきます。ラクスルの中で事業を立ち上げた人材が自らの意思決定によって世の中を変える産業を作り、それが社会や株主にとっての価値の最大化にも繋がっていく。そのような存在を目指していきたいですね」(松本氏)