世界で大ヒットしているNetflixオリジナルの韓国ドラマ『イカゲーム』
世界で大ヒットしているNetflixオリジナルの韓国ドラマ『イカゲーム』

2020年2月、ポン・ジュノ監督が手がけた韓国映画『パラサイト 半地下の家族』がアカデミー賞作品賞を獲得したことは記憶に新しい。その後も韓国は『愛の不時着』や『梨泰院クラス』、『ヴィンチェンツォ』などのヒットコンテンツを生み出してきた。

そこにまた新しい作品が加わりそうだ。2021年9月17日に配信がスタートした、Netflixオリジナルの韓国ドラマ『イカゲーム』が全世界で大ヒットしている。

米Forbesの報道では、世界90カ国で視聴ランキング1位を獲得したと言われている。Netflixは公開後28日間で視聴数を発表するため、現時点(10月11日時点)で実数は明らかになっていないが、米Fortuneでは全世界で8200万人の視聴者が獲得できる見込みだと報じられている。

さらには、作中で主人公たちの着用している白いスリッポンを求める人が急増。その影響から、VANS(ヴァンズ)の定番商品である白いスリッポンを購入する人が全世界で続出し、商品の売り上げが7800%も増えた、と言われている。

なぜ、イカゲームはここまでヒットしているのか。その理由を動画コンテンツの企画・制作などを手がけるワンメディア代表取締役・動画プロデューサーの明石ガクト氏に分析してもらった。以下は、明石氏によるコラムだ。

※以下、重大なネタバレや結末に関する記載も含まれているため、まだ作品を観ていない人、ストーリーのラストを知りたくない人はご注意ください。

なぜ、『イカゲーム』はヒットしたのか

こんなツイートをした数日前の深夜。出張前日で早く寝なければならない夜なのに、指は止まらなかった。Netflixで配信されたイカゲームが与えた衝撃は、それほどまでに深く大きいものだったのだ。

イカゲームの公開直後、多くの人が「日本のお家芸である "デスゲーム(登場人物が死を伴う危険なゲームに巻き込まれる様相を描く作品のジャンル)" で韓国がヒット作を生んだ」という発言をしていた。中には「(日本のデスゲームの)パクリじゃないか」といった声すら上がっていた。事実、ファン・ドンヒョク監督は日本やアメリカのいわゆるデスゲーム系作品を、本作の構想中に観ていたことを公言している。

しかし、最終話まで観て僕が感じたのは、イカゲームはいくつかの点で従来のデスゲーム系作品とは、物語のコアになる部分が大きく異なるものになっているということ。それによってグローバルでの記録的大ヒットにつながっているのではないか、ということだ。

いわゆる "Netflixマネー" が投下され続けている韓国コンテンツ(編集部注:Netflixは2021年、韓国の映画・テレビシリーズ作品に約520億円投資することを発表している)。日本発の作品よりも圧倒的な成果を残している背景には、資金面以外にも今から説明するような違いがあるのではないか、と僕は考えている。

イカゲームは「デスゲーム系作品」ではない

まずはゲームの内容だ。日本のデスゲーム系作品の多くは、子供の頃にやるような遊びやカードゲームなどをベースに、トリッキーなルールをちょい足しして、それを主人公たちがハックして攻略することがストーリーのベースになる。

ギャンブル漫画として有名な『賭博黙示録カイジ』の "限定ジャンケン(グー、チョキ、パーのカードを用い、それぞれの手を出せる回数を限定したことで戦略性を高めたジャンケン)ゲーム" を筆頭に、日本のデスゲーム系作品の多くは最初に説明されるルールの裏をかいて勝利をつかむことが面白さの原動力になっていた。

そうした作品においては、天才的な頭脳を持つキャラクターや、悪魔的なまでに心理戦に長けたキャラクターが活躍し、主人公陣営をピンチに追い込んだり、最後に大逆転させたりすることで物語が進んでいく。

しかし、イカゲームに登場するものは、どれも拍子抜けするほどに子供の遊び "そのまま" である。タイトルにもなっている 「イカゲーム」は、第1話冒頭と最終話で凝った説明パートがあるにも関わらず、その後に繰り広げられるのは至極単純な殴り合いだ。

いわゆる "デスゲームあるある" とも言える超人的な頭脳バトルの要素は、作中通してほぼ見受けられない。唯一、主人公の幼馴染として登場するサンウというキャラクターが「ソウル大学経済学部主席合格」という肩書で登場する。ゲーム中の彼は確かに優秀ではあるが、いわゆる普通の人間の範囲を超える頭脳を持っているわけではない。

そのかわり作中で時間をかけて描かれるのは、参加者一人ひとりの人物背景であり、裏切りに至るまでの心情だ。イカゲームにおけるゲームは、最終話で黒幕が問いかける「まだ人を信じるか?」というメッセージを執拗(しつよう)に表現するための舞台装置に過ぎず、ゲーム自体が物語を転がしているわけではないのである。

この前提を踏まえて改めて物語をふかんしてみると、イカゲームは世界で最も知られている "あるストーリー" の型をなぞらえて作られていることに気付く。

それは裏切りによって死を迎え、数日後に復活を遂げる、ある男のストーリー。そう、イカゲームはイエス・キリストの復活を暗喩した物語になっていると筆者は考える。

ゲーム会場は外界から隔離された "地獄"

最初のゲーム「だるまさんが転んだ」が繰り広げられた運動場は晴天のように見える高い壁に囲まれているが、場所自体は外の世界から隔離されており、ゲーム会場は地下奥深くにあることが示される。つまり、イカゲームの世界は "地獄" であるということが示されるのだ。

ゲームで死亡した参加者たちは、火葬場で炎に焼かれていく。日本のような火葬が当たり前の国では普通に見えるかもしれないが、キリスト教徒が多い地域では今でも土葬がが多い(編集注:韓国は儒教の影響からも土葬を重んじていたが、近年は火葬が主流になりつつある)。なぜならキリスト教の死生観においては人は死後、復活して天国に行けると考えられており、受け皿となる肉体を燃やすことはタブーとされてきたからだ。

キリスト教において地獄は "永遠の火"とも表現される。参加者たちが延々と燃やされ続けるイカゲームの会場は、まさに地獄そのものだと言える。

最初のゲーム「だるまさんが転んだ」のワンシーン
最初のゲーム「だるまさんが転んだ」のワンシーン

"数字" や食事が示す、重要な意味

イカゲームで目を引くのは、何と言ってもジャージに書かれた数字だろう。キリスト教において "1" は唯一神をあらわす特別な数字だ。ジャージの番号が "001" であることは、それがイカゲームにおける絶対的な存在であることを示しているのではないか。

ゲームの現場と並行して、黒幕がゲームの公平性というものを重要視していることも描かれている本作だが、そんな公平性を主人公のギフンらが自ら破るのが第4のゲームだ。

このゲームは、各自手持ちのビー玉10個を賭けてペアと対戦し、相手のビー玉を全て取った方が勝利となる。あることをきっかけにギフンは、このときだけ“001" のジャージを身に着けている。そしてペアとなったおじいさんから「カンブ(韓国でビー玉やメンコなどを使った遊びをするとき、お互いのビー玉やメンコなどを共有できる友だちを指す言葉)になろう」という誘いを受けたからこそ、ギフンは相手のビー玉を全て取り、結果的に生き残ることができた。その後の展開で「どの番号を選ぶかが重要だ」という会話が出ることからも、数字を意図的にちりばめていることが想像できる。

また本作の中で最も過酷と言っていい第5のゲーム「飛び石渡り」。勝ち残ることになるのはわずか3人だ。"3" は三賢人・三位一体・三大祭など、キリスト教にとって非常に重要な数字であり、最後の戦いを前に生き残る人間は3人でなければいけなかったのだ。

第5ゲームを勝ち残った参加者たちはディナーに招待されるが、そのメインディッシュのラム肉は "神の子羊" で、ワインは "キリストの血" とも言える。まさに "最後の晩餐"だ。そのディナーの翌朝には、ギフンはキリストさながらの傷を負い、さらにはイカゲームという地獄から "復活" するまでが描かれる。変わってしまった風貌も、イエス・キリストのような姿だ。

また、本作を見終えた人が最も疑問に思うであろうポイントが美容室を訪れたギフンが髪を赤く染めたパートだろう。イエス・キリストを裏切り、処刑のきっかけを作ったユダは、赤毛として描かれることもある。イカゲームという裏切りの地獄において、人を信じ続けることで復活したギフンが、どうしてユダになろうというのか。

その真意は分かりかねるが、最終的に主人公が髪を赤く染めたことについて、筆者はこれまで語ってきたようにキリスト教が関係していると思っている。

日本のコンテンツに足りない「世界に通じる普遍性」

イカゲームはデスゲーム系作品としてヒットしたのではない。その背景にキリスト教という世界的に共感される物語のフレームを仕込み、人の持つ普遍的な内面を描くことでヒットしたのだ。日本のコンテンツはアイデアやディテールに優れていても、こういった世界共通で共感を呼ぶ大きな物語のフレームワークづくりに弱点があるのかもしれない。

例えば、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』には、地上・半地下・そして地下という3つの階層が登場する。これはまさに同じキリスト教の天国・煉獄・地獄のメタファーだと筆者は考える。また詳細は伏せるが、ラストシーンの壮絶な惨劇は聖書にある「金持ちとラザロ」の寓話(ぐうわ)そのものだ。

日本は宗教的にも地理条件的にもユニークな立ち位置にある国だ。米国で興行収入4000万ドル超を記録し、世界中で「怖すぎる」と話題を席巻したアリ・アスター監督『ミッドサマー』。この映画はキリスト教徒という目線から見た異教徒(土着信仰)に対する恐怖を表現したものだが、日本のような多様な宗教観を持ち合わせている環境で生まれ育った人には理解できない部分が多い。裏を返せばミッドサマーはそれゆえに世界的にヒットした。そう考えると、グローバルで理解される前提条件を物語に組み込むことの重要性が分かってもらえるだろう。

韓国は国民の3割がキリスト教徒である。音楽業界で言えばクリスチャンネームを持つK-POPアイドルも多い。例えば、男性アイドルグループ「SHINee」のテミン、女性アイドルグループ「TWICE」のチェヨン、「MAMAMOO」のファサなどがクリスチャンネームを持つ韓国アイドルとして有名だ。

NetflixやYouTubeといった世界共通のプラットフォームが、コンテンツの垣根をなくしていく今、その国独自のビジュアルは注目を集めるための大きな強みになる。イカゲームで言えば、緑色のジャージは欧米を中心にとてもユニークに見えただろう。

しかし、大事なことはその表面的な特徴の内側に、国境を越えて共感できる要素を盛り込めるかどうかだ。

緑色のダサいジャージの下にイカゲームが忍ばせたのは、キリスト教の持つ普遍性だった。では日本における「世界に通じる普遍性」とは一体なんなのか。それを考えることが、この時代に日本を生きるクリエイターの使命なのかもしれない。