
- 16年前、「北米とイギリスのみ」からスタートしたGoogle マップ
- 日本ならではの“複雑性”がGoogle マップの精度を上げた
- 「便利なだけじゃダメだから」Google マップが望む進化の形
検索やメール、地図、翻訳──今や、私たちの生活に欠かせないツールを数多く生み出してきたGoogle。その日本法人が今年で設立20年を迎えた。
この20年社会全体もそうだが、ツールそのものも大きく変化した。目的地に向かうために当たり前のように使っているGoogle マップも当然ながら、リリース初期は全然違うものだった。最初は北米とイギリスのみしか地図が映し出されていなかった。
その後、日本版の提供がスタートし、実は日本特有の街の構造や(番地まで区切る)住所スタイルによって、Google マップ全体の精度を上げるきっかけにもなったという。
「現在、Google マップは世界で月間十億人以上が使うサービスになりました。とはいえ、今でも世界全体で毎月数百件ほどの修正が行われています」
そう語るのは、初期からサービス開発を担当する後藤正徳氏だ。リリースから16年経つGoogle マップのスタート地点から、現在までの変遷を聞いた。

16年前、「北米とイギリスのみ」からスタートしたGoogle マップ
Google マップがリリースされたのは2005年2月。その5カ月後の7月から、日本版の提供がスタートした。2006年にはGoogle Earthの日本語版、2008年にはストリートビューなど、今やおなじみの機能が次々と実装されて登場。そして2011年の東日本大震災では、被災地の衛星写真や自動車通行実績情報マップも提供した。
では、リリース初期のGoogle マップはどのような姿だったのだろうか。当時のサービス画像を見てみると、映し出された地図に載っていたのは北米とイギリスのみ。

「改めて見てみると、今とは違うデザインですよね(笑)。ただ、当時からGoogleが持ちうる、さまざまな技術を投入していました。例えば、地図上をドラッグしてぐりぐりと動かせたり、クリックしてズームできたり。そういったことができる地図サービスは、他にありませんでした」(後藤氏)
当初のGoogle マップは紙からデジタルへ。地図を再定義することを目的にしていた。最初の壁となったのは「地図と検索機能をどう組み合わせるか」だった。というのも、このときはまだ「地図で目的地を確認する」以外に、どういったニーズがあるのかが誰にもわからなかったのだ。
そのため、住所や職探しなどの検索ボックスを並べてみるなど、試行錯誤を繰り返した。そのなかで、世の中に広まるきっかけとなったのが「API(Application Programming Interface、ソフトウェアの一部を外部に公開すること)開放」だ。
「リリースして少し経ったころ、Google マップに触れたユーザーが『自分のサイトに埋め込めるんじゃないか?』と思い、サイト上にGoogle マップを埋め込み始めたんです。これをサポートするかたちでGoogle マップのAPIを開放したところ、瞬く間にサービスの利用度が上がりました」(後藤氏)
日本ならではの“複雑性”がGoogle マップの精度を上げた
時代とともに、Google マップに求められるニーズも使われ方も変化する。リリース時はパソコンが主流だったが、今ではモバイルで使用されていることも多い。最近ではGoogle アシスタントに「OK, Google」と目的地を呼びかければ、現在地からの最適な経路を導き出せるようになった。

「Google マップの登場で、地図も検索を構成する情報の1つになりました。多くのユーザーが検索する情報の2割程度が、なんらかの場所を含んだ情報になっているとも言われます」(後藤氏)
より良質な情報にするため、ユーザーによるレビューも募集。現在1億人のユーザーが参加し、スポット毎の情報や写真を提供している。これによって純粋な位置情報だけでなく「そこへ行けば何があるのか」がより明確になった。
しかし、レビューに「フェイク情報」はつきものだ。情報の精査はどのように行っているのだろうか。
「問題があればユーザーに報告していただくと同時に、AIでもレビュー情報を精査しています。これは、どちらか片方だけでは成立しないんですよね。特にコロナ禍にある今では、間違った情報で案内されることがこれまでよりも深刻になりました。そのため、ユーザーからもフィードバックをもらいつつ、自分たちが持ちうる技術で一緒に情報の精度を上げようとしているところです」(後藤氏)
触れておきたいのは、前述もした「日本ならではの開発ポイントがGoogle マップを発展させたこと」についてだ。
後藤氏によると、海外に比べて日本は「サービスへの期待値が高い」ことに加えて、「日本の街の構造は独特」「世界唯一の住所形態」の2つの特徴があるという。
「日本の各主要都市には鉄道だけでなく地下鉄があり、地下街もあります。さらに、巨大なビルには数百以上のビジネスがひしめきあっています。例えば東京・渋谷は、国道246号線という道路があり、その横には歩道橋がいくつも走っている。さらにその下には地下鉄があり……複雑な都市構造になっています」
「なかでも特徴的なのが住所です。『東京都港区六本木○丁目○番○号』と、大きなところから細かな場所へと落ちていくスタイルは、世界唯一と言っていい。他の国だと、道路と番号で、場所がわかる。道路の名前がわかると目的地へたどり着けますが、日本は番地まで区切られています。世界のシステムは通用しないという意味で、日本は“地図の課題先進国”でした」(後藤氏)
もともとアメリカやイギリスのガイドブックには写真や文字が少ない。一方、日本の地図には写真や文字だけでなく、飲食店の場所なども細かく示されている。Google マップで「日本の複雑さ」を描いたところ、今まで他国にはなかった地図への認識も塗り替えることになったのだ。
「便利なだけじゃダメだから」Google マップが望む進化の形
「でも、便利なだけじゃダメなんですよね」と後藤氏。2012年のエイプリルフールにはGoogle マップがファミコン版ドラゴンクエスト風になったほか、2014年にはGoogleマップ内に生息する「やせいのポケモン」をゲットする「ポケモンチャレンジカップ」を開催。これはのちにNianticの「ポケモンGO」につながる試みだ。このように単なる地図サービスとは言えない遊び心も盛り込んできた。
「エイプリルフールだけでなく、Google Earthで世界にある28館の美術館内を歩けたり、タイムラプスで10年前の街の様子を見られたり、楽しく使ってもらうための機能も揃えています。特にタイムラプスは、熱帯雨林が街へ変化する様子を見られるので『世界はどんどん変わっている』と実感できます」(後藤氏)
当初は「紙からデジタルへ」を目的に誕生したGoogle マップ。今では目的地までの経路を探すだけでなく、飲食店や混雑状況など、街に関する細かな情報も調べられるようになった。街が変化するに連れて、Google マップの存在や役割はどのように変化したのだろうか?
「変化にあわせて、Google マップの情報も更新しなければなりません。そのスピードは、新型コロナウイルスの影響によって上がったように感じています。コロナ禍で誤情報があってはいけません。感染症対策をしていているのか、そもそもお店は開いているのか。リアルタイム性が求められる時代なので、情報の信頼性と更新の速さとの両立は大事ですね」
「近年では、多様性も重視される時代になりました。Google マップでも、アクセシビリティ(年齢や身体的条件に関わらず、サービスを活用できる状態)の1つとして、音声案内機能の開発にも取り組んでいます。目が見えない方が困らないように、定期的に『目的地まであと何メートルです』『◯メートル先で右に曲がってください』とアナウンスするというものです。このように、Google マップにはまだまだできることがたくさんあるんですよね」(後藤氏)
例えば、2021年7月に東京駅や渋谷駅などJR東日本の主要駅で屋内ARナビ「インドアライブビュー」の提供を開始するなど、まだまだサービス自体が進化している。この機能はストリートビューの「屋内版」で、“ダンジョン”とも称される渋谷駅構内でカメラをかざすと、目的地までナビゲーションしてくれる。
「屋外に比べて、屋内は似たような風景が多く、リアルタイムで認識するのが難しかったんです。我々のソフトウェアはもちろん、ハードウェアの進化が相まって、ようやくリリースできました」(後藤氏)
新しい建物ができたり、駅構内の形が変わったり。街が変化すれば、それに合わせてGoogle マップも進化しなければならない。取材の最後、後藤氏は「だからこそ、Google マップの取り組みに終わりはないんです」と語った。