
- 変化のスピードが早くトップの意志浸透が難しいスタートアップ
- 「1人1人の負荷が高く、時間がない」からこそ1on1が必要
- スタートアップの1on1で「聴く」ことにはどんな効果があるか
- 仕組みとして「聴かれる」体験を作るには
- 1on1を取り入れるタイミングは
スタートアップが組織づくりの過程で「1on1」を取り入れることには、組織の崩壊を防ぎ、価値観やビジョンを共有するという効果も期待できる。書籍『LISTEN──知性豊かで創造力がある人になれる』の監訳者で、社外人材によるオンライン1on1サービスを展開するエール取締役の篠田真貴子氏が、スタートアップでの1on1の始め方や注意するとよい点、仕組みとしての「聴く」「聴かれる」体験づくりについて解説する。
変化のスピードが早くトップの意志浸透が難しいスタートアップ
前回記事『初めての1on1──事業・組織が確立した成熟企業で「聴く力」はこう活用する』では、事業やオペレーション、組織がすでにできあがっている企業で、初めて1on1を取り入れようとする場合の留意点などについて考察しました。
今回は、スタートアップが組織づくりの過程で初めて1on1を取り入れる際に気を付けるべき点や、スタートアップにおける「聴く力」の意味などについてお話しします。
スタートアップは成熟企業と比べると、ある意味、真逆なところがあります。ビジネスモデルがまだ完成しておらず、オペレーションもまだまだ安定していません。現場で1人1人ががんばって、試行錯誤しまくるといった状況でしょう。
スタートアップの多くでは、創業者が本当に強烈な思いを持っていて「何のためにこの事業をやるのか」といった理念を強く発信しているはずです。では、現場の人もみんな創業者の理念をよく理解しているのか、というと、実はそうでもなかったりします。大企業での経験が長かった私にとっては、「トップの発信力が強くて現場との距離も近いのに、なぜ現場の人たちはこんなに戸惑っているんだろう」と不思議になるぐらい、スタートアップの現場には混乱がつきものです。
しかしそれもそのはずで、オペレーションやビジネスモデルが安定しないからこそ、スタートアップでは変化のスピードが激しく、組織の状況がすぐに変わってしまいます。例えば採用で「こういう人が欲しい」と狙いを定めて活動していても、採用完了までにはそれなりに時間がかかります。条件に合う人を探しているうちに状況が変わってしまって、「その採用ストップ!」となることも多々あります。
こうなってくると現場の人たちは、「次は何をすべきか」をキャッチアップするのに必死になり、「そもそも我々は何のためにこれをやっているのか」「自分はなぜここで働いているのか」といったことがだんだん混乱してきてしまうのだと思います。
この状態を放っておくと、離職につながることもあります。特にスタートアップは人材の流動性が激しく、優秀な人材は取り合いとなりやすい環境にあります。働く人が、より自分にとって身を投じる価値のある事業へ流れていってしまうのもわかります。
経営者にとっては驚くような離職が起きることも、スタートアップではしばしばあります。これは、事業の目標となる“北極星”は決まっていても、そこを目指す際のルートが常に変わるからです。オペレーションや組織が固まっていないということは、情報の伝達経路が定まっていないということでもあります。トップが、状況に応じて思い切って判断したことの意図が、極めて伝わりにくい構造になりやすいのです。
老舗企業における「変化になかなか対応できない」という課題とは性質が逆ですが、スタートアップにおいても「トップの意図が伝わらないために、現場の人がうまく動けない」という点では、実は同じことが起きているわけです。
「1人1人の負荷が高く、時間がない」からこそ1on1が必要
スタートアップの課題としてもう1つ、「仕組みができあがっていないために1人1人の業務負荷が高い」という点があります。つまり、誰もが大変忙しい。そこで「忙しくて1on1の時間が取れない」ということが起こりがちです。
特に現場では、会社へのコミットメントが強い人ほど「30分あるなら商談をもう1件こなしたい」「もう1本電話をかけたい」「コードをもう何十行か書きたい」と、1on1に時間を取りたくない力学が働きやすくなる面があるかもしれません。
しかし、だからこそ1on1が必要なのです。たとえば、今までトップが「右」といっていた会社の方針が「左」と急に変わったときには、やはりみんな心情的にはモヤモヤします。それが「もうついていけないから辞める」となるきっかけにもなりやすいのが、スタートアップです。そんなときに、とにかく定期的に話をする場があるということが大切です。
なぜ右と言っていたことを急に左と反対のことを言うのか。その意図は何か。「そういう会社でしたっけ」といった心情を現場の人から吐露してもらって、もう一度、トップの意図とつなぎ合わせ、接続し合う機会として、1on1という場は非常に大事になります。
それも、心情的なハレーションが起きてから話し合いの場を持ちましょうといっても遅いことが多い。だからこそ、30分といわず15分でよいので、とにかく定期的に1対1で話をすることを習慣づけしておくことをおすすめします。一見、真逆の方針変更に見えることでも、その背景の理解の糸口をつかむきっかけとなります。
また「心情的に付いていけない」となる一歩手前で、部下の言うことをひとしきり上司が聴けば、少し落ち着くという効果もあります。いずれにしても、接点を持ち続けることがとても大切です。
スタートアップでは、組織や環境が安定していないために、意見の対立があちこちで起きやすい傾向もあります。メンバー同士が見ているものの違いや、ちょっとしたタイミングの違いによって、ものすごく判断が変わってくるので、あちらこちらで対立が起きやすくなるのですが、これは当然のことです。
そんな時には、「みんながこの事業を成功させたいと思っている」「世の中にインパクトを出したいと思ってやっている」という意図はそろっているということを、丁寧に確認していかなければなりません。1on1は、その「意図の確認」をする場でもあります。そこを忘れてしまうと、忙しさに紛れて何となく1on1の実施が後回しになり、「気づけば3カ月話していない」ということになりかねません。
スタートアップにおける1on1がうまくいかなくなる理由の中でも大きな1つが、この忙しさです。そして「意図の確認」がうまくいかなくなると、思った以上に簡単に組織の崩壊につながることもあります。時間は短くてもよいので、とにかく頻度は維持すると心掛けることが、スタートアップにおける1on1実施のコツと言えるでしょう。
私が今、関わっているエールは、企業向けに外部人材によるオンライン1on1を提供しているスタートアップです。それもあって、社内での1on1は、とても身近なものとして日常に取り入れられています。時間の長さは30分から60分、頻度も毎週、隔週から月1回までさまざまですが、代表の櫻井さん(代表取締役の櫻井将氏)がメンバー全員と定期的に1on1を実施し、私も業務で関わるメンバーと、先々まで定期的な時間を設定しています。メンバー同士でも気軽に「ざっくばらん」という名前の1on1の時間を作っています。これが社内の情報共有や、お互いの様子を知るためだけでなく、自分の状態や、自分の「聴き方」を振り返る大切な機会になっていると感じています。

スタートアップの1on1で「聴く」ことにはどんな効果があるか
成熟企業と同じく、スタートアップでも、1on1において「聴く」ということは大切です。その理由はいくつかありますが、そのうちの1つがスタートアップが「非常に厳しい環境にある」ということです。
スタートアップでは、短期間に業績を2倍、3倍に伸ばすことが求められ続けます。メンバーも厳しいことを知っていて飛び込んできてはいるのですが、やはり「半年で2倍」などといった目標を目の前にすると、ちょっとしんどく感じるのではないでしょうか。対する上長も、「本当は部下をケアしなければいけない」とわかっていても、自分も余裕がなくて厳しいことを言ってしまうというサイクルになりやすい。そんなときに「聴く」スキルが上司の方に身に付いていれば、高い目標を維持しながらメンバーの不安や心配を解消できる可能性が高くなります。
このときの「聴く」というのは、メンバーの言いなりになったり、迎合して目標を下げたりということではありません。エールを導入したあるスタートアップ企業では、そのことをリーダーの方が理解するようになり、目標は目標として掲げつつ、メンバーからの「この目標はきついですね」といった言葉も、「どの辺が気になる?」「どの辺が引っかかってるの?」と、きちんと聴くことができるようになったそうです。
きちんと聴いてもらえると分かればメンバーも、目標に対して心配な点や実現できなさそうな点を具体的な課題として挙げるようになります。最終的にその組織は意思疎通が良くなり、メンバー自身もがんばれるようになったといいます。今までの「いいからやれ」というコミュニケーションのかたちではなく、チーム全体の力が上がるかたちにリーダーシップのスタイルが変化していったのです。
もうひとつ、聴くことがスタートアップにおいて大切なのは、聴かれた側がじっくり話しているうちに考えが進み、言葉になることで、それ自体が経験となり、学びとなるからです。メンバーが考えを言葉にするようになると、リーダーとの視座もすり合ってくるようになります。
スタートアップを創業するような方は、世の中の標準からいえばかなり優秀な方が多く、その分、正論であってもメンバーにとってはピンとこなかったり、抽象度が高すぎたりすることがあります。トップが「毎月言っていることだから、そろそろメンバーも理解してくれただろう」と思っても、みんなはトップが期待するほどにはわかっていないケースや、トップ直属のメンバーまでは目線が揃っても、その人たちがさらに下のメンバーへ伝えようとすると、理解が進まないということもあります。
目標やビジョンなどを何度も繰り返して言うことも大事ですが、トップの意思とメンバーとを接続するためには、トップからの言葉を受け取ったメンバーの側の話を聴くことが重要になってきます。「ここまではわかったけれども、ここはピンとこない」とか「ここはこういう意味ですか?」とメンバーが話すのをリーダーの方はひたすら聴きます。するとメンバーの方は聴かれているうちに、もやもやしていたことが言葉になって、気持ちや考えが少しすっきりします。そこからビジョンへの1人1人の理解が進むようになります。
高い数値目標やスピード感、そしてまだ誰も見ていない世界観の実現が求められるスタートアップで、トップが見ている景色とメンバーが歩いていく道筋とを接続するには、やはりメンバーが「聴いてもらうこと」や「聴いてくれる人」がいることが必要です。聴いてもらうことで初めて、メンバーはわからないなりに考えを言葉にしていくことができ、トップが見るビジョンに近づいていくことができます。
ここまでの説明では、トップ直属のリーダーがメンバーの話を聴くことを前提にしましたが、より小さな規模のスタートアップでは、メンバー同士が互いに聴き合うことでもよいと思います。自社が目指す世界はどういうものなのか、それぞれが対話を繰り広げて、互いに支え、「大変だけどがんばろうね」と励まし合うということも、すごく効果のあることではないでしょうか。
仕組みとして「聴かれる」体験を作るには
スタートアップでは、創業者の強い思いをメンバーがその人なりに翻訳して共感し、理解する必要があります。それは1on1の場や組織の中で相互に聴き合い、それぞれが言葉にすることで担保されると思います。
私の知る、あるスタートアップでは、入社したときの歓迎の場で、長めの自己紹介をしてもらうそうです。いわば、その人のこれまでの人生について、全部語ってもらうというのです。自分がどういう歩みでこの会社まで来たのか、どのような経験からその会社のビジョンに共感するようになったのか、そういった話をまるまる15分から20分かけてする。すると、新しく入る人は自分の話をいったん全て、みんなに聴いてもらった状態でチームに入ることになります。これはスタートアップで、仕組みとして「聴かれる」体験を作る1つの例になるかと思います。
この会社では、入社時とは別に定期的にビジョンとミッションについて対話する機会も設けているそうです。そこで自分やほかの1人1人が、会社のビジョン、ミッションとつながり直す機会となるのです。こうした「じっくり聴いてもらう」体験と、自分と事業の思いとのつながりを確認する場があることは、特にスタートアップにとっては意味のあることではないでしょうか。
人の話の受け止め方は十人十色、100人いれば100通りの解釈があるということは、何となく皆さんも普段感じているのではないかと思います。創業者の方は、その現実を自分に知らせるために、1on1をするのもよいと思います。
たとえばビジョンについてメンバーに話した後や、ミーティングで方針を伝えた後などに、自分の話がどのように受け止められ、理解されているかをフラットに聴く場を設けます。相手はメンバー全員である必要はありません。
1on1で聴いてみると、自分が伝えた話のどこにピンと来たか、全員のとらえ方や理解度がそれぞれに違います。創業者の方の中には、そのことにいら立ちを感じてしまうこともいるようですが、そこで怒ってしまうのは得策ではありません。また、そこで「自分の伝え方が悪かったのかな」と考えてしまう人もいますが、必ずしもそうではないかもしれません。
受け止める人が違えば相手が受ける印象というのは変わるものですし、同じ人でも元気な時と弱っている時とでは受け取り方も違うもの。自分がそういうチームと仕事をしているということを、自分自身にリマインドする場として、ぜひ、1on1を活用してもらえればと思います。そうすることで、組織が崩壊するようなことになる前に、予兆をキャッチすることができるという利点もあります。
スタートアップを率いていく立場である創業者の方は、どちらかと言えば「聴く」というよりは自分の強いビジョンを魅力的に伝えることで会社が回っている部分があるはずです。それを止めてまで「聴きましょう」というのも、ちょっともったいないことです。ただ、顧客から自分たちのサービスがどう受け取られているのかを確認するのと同じスタンスで、自分の語っていることがどう受け取られているかを1on1の場でメンバーから教わることは、何らかの意味のある時間となるのではないかと思います。
1on1を取り入れるタイミングは
一口にスタートアップと言っても、立ち上げて間もない企業から、ある程度イグジットが見えてきた企業までさまざまですが、急成長しているときのスタートアップは特に「聴く」ということを大切にするとよいと思います。それは成長が速い時ほど、あっという間に自分たちが大切にしてきた価値観やビジョンが共有されないという状況に陥るからです。
急成長期には、先月入社した人が今月入社するメンバーのオリエンテーションをする、というような状況になることもあり得ます。そこでメンバーの声を「聴く」ということを一層大事に考えてもらえばよいのではないかと感じます。
スタートアップが1on1を取り入れるべきタイミングについては、これ、と決まった時期があるわけではありません。ただ、創業者や創業メンバーが「現場の人が考えていることがちょっとわからなくなってきた」と感じるようになったら、それは1on1を取り入れた方がよいというサインになります。
また、報酬や評価について、制度化まではいかずとも、何らかの基準となるものを決めなければならない、ということになってきたときも、1on1導入のタイミングではないかと考えます。ただし報酬や評価と1on1は、必ずしもリンクしている必要はありません。
トップが「現場で起きていることについて肌感覚がなくなってきた」と感じるようになったり、評価の基準が必要だと感じたりするのは、逆に現場の人にとってもトップのビジョンや意図がわからなくなるタイミングです。組織のステージとして、1on1を設定することでビジョンや意図を現場に伝える仕組みを用意することができます。
スタートアップにおいては、忙しさにかまけて1on1をスキップしてしまい、気づいたらしばらく話を聴いていなかったということになりがちです。繰り返しになりますが、とにかく頻度を落とさないことは心掛けた方がいいでしょう。時間は短くてもよいので、1時間取るのがムリなら30分、30分がムリなら15分でもよいので、2週間に1度ぐらいは話せる時間をつくるとよいと思います。